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小説家・平野啓一郎が語る、わたしの百読本「マイルス・デイヴィスが語る、ジャズとアメリカ」

かつて『マイルス・デイヴィスとは誰か』(小川隆夫氏との共著)を上梓している平野啓一郎さん。かのジャズミュージシャンをこれほど敬愛するのは、音楽性はもちろんのこと、この自叙伝の存在も大きいのではないだろうか。

Text: Ikuko Hyodo

平野さんがジャズを本格的に聴き始めたのは、大学に入った頃。いいと思うものを行き当たりばったりで聴いていたが、マイルスの語りをクインシー・トループがまとめた本書で、ジャズの歴史が有機的に結びついた。

『マイルス・デイヴィスの真実』

「この自叙伝にはいろんな魅力がありますが、マイルスの歩みはビバップ以降のジャズの歴史そのもので、一つの大きな幹といえます。
だからジャズに興味はあるけれど、どれから聴いたらいいかわからない人や、僕みたいに何となく気に入ったものを聴いていた人が、1950年代から80年代に至るジャズの変遷を知るには最適です。

そこからさらに、バンドメンバーのハービー・ハンコックやチック・コリアなどいろんな人たちが派生して、豊かな系統樹が生い茂っていく。その様子が当事者の声で非常に生き生きと語られていることに、まず感動しました」

訳者の功績も大きいのだろうが、マイルスの語り口は軽妙で臨場感に溢れ、波瀾万丈な人生を彩る数々のエピソードからも人間的な魅力が伝わってくる。

「一緒にバンドを組んでいたミュージシャンたちは後々、インタビューでもマイルスの話をよくしていますが、みんな彼のことを嬉しそうに話すんです。
あまりに個性的だったから、微妙にいじられキャラだったりするんですけど、自叙伝からもこうした人柄を垣間見ることが。ユーモアがあって、クリエイティブでカッコいいんですよね」

トランペット奏者 マイルス・デイビス

平野さんは『「カッコいい」とは何か』という著書で、この言葉が持つ曖昧さや「カッコいい」という価値観の変容などユニークな議論を展開しているが、当然マイルスも登場する。

「アメリカでは、クールとかヒップについての本が80年代以降、徐々に出始めたようですが、ヒップとは何かを語る際、マイルスは必ず名前が出てくる一人といえます。自叙伝からも、やっぱりそれがよくわかるんですよね」

マイルスの人生を通して見えてくるのは、ジャズの歴史だけでない。平野さんが得たもう一つの大きな実感は、アメリカに蔓延る人種差別だ。

「自叙伝には黒人差別の過酷さも生々しく描かれています。その差別がきつくなったり緩くなったりしながら、今のブラック・ライヴズ・マターにつながっている。
頭では理解していたものの、日本に住んでいると実感しにくい問題ですが、敬愛するアーティストの人生を通じてアメリカの矛盾を知ることができ、かなり啓発されました」

この自叙伝のように
人に薦めたくなる小説を。

ジャズの帝王と呼ばれたほどの人物だが、ずっと順風満帆だったわけではない。自叙伝の後半、ジャズが下火になっていく時代の葛藤にも、平野さんはマイルスらしさを感じている。
例えば60年代後半、ロックの勢いに押されて、ツアーで満席にならない会場が出てきたときのエピソード。

「自分が時代遅れになっていくのを感じて悩むのですが、その思考回路もやはり独特です。ロック系のミュージシャンと話をして、マイルスは彼らが音楽について何も知らないことに気がつきます。にもかかわらず、彼らは時代が求めるサウンドを持っていて、人気がある。

音楽について遥かに詳しい自分なら、彼らより上手にできるはずだと、ロックと融合する路線に進んでいきます。ひがんで難癖をつけるわけではなく、そうやって考えて行動するマイルスが魅力的ですよね。
謙虚なような不遜なような、どちらともいえる感じも面白いし、自分に足りない状況を分析して、新しい音楽を作るために前進しようとする態度に鼓舞されます。

僕自身、よく売れてる本でも、なんでこんなのが?と思うことはありますけど、そういうときにマイルスのこの逸話を思い出しますね」

小説家・平野啓一郎

高校を卒業したばかりのマイルスが、ディジー・ガレスピーとチャーリー・パーカーの演奏を初めて聴いて興奮した夜の回想から始まり、亡くなる数年前でその語りは幕を閉じる。
平野さんは年齢や経験を重ねながら繰り返しこの本を手に取ってきたわけだが、読むたびに笑ってしまう逸話もあれば、以前は素通りしてきたような箇所で、ふとページをめくる手が止まることも。

「ミュージシャンでも作家でも、若いうちにデビューした人は大抵そうだと思うのですが、中年になる頃までに自分のやりたかったことが、ある程度できてしまっているんですよね。

若い人が出てきて新しいものが次々と生まれるなかで、自分がこの先どうしたいのか考えるとき、マイルスの同じような時期の気持ちが、今読むとちょっとわかる気もします。
彼の場合、バンドメンバーを若くすることで克服しようとするのですが、自分の音楽をアップデートしようともがく心境は、僕自身も年をとってより切実に感じられます」

何度も読んだ2冊の文庫と、あまりの面白さについ買ってしまったという原書には、たくさんの付箋が貼られ、中面にも線が引かれている。

「線を引いたり、付箋を貼ったり、端を折ったりする作業は、頭に定着させるのに役立っている気がします。線を引くときは無意識に再読しますし、線を引いた部分が全体のどのあたりだったのか何となく覚えていたりするものなので。
読者として成熟すると、いい本を読んだときに線を引く箇所も増えていくんですよね。若いときに読んだ本を読み返して、あまり線を引いていないのを見ると、重要なところに気づけなかったんだなと思ったりします」

自著『本の読み方 スロー・リーディングの実践』でも、量より質を重視して、ゆっくり深く味わう読書を推奨しているが、「多く読むこと」についてはどう捉えているのだろう。

「僕の家でも積ん読本が、東京のウォーターフロント並みにタワー化してますけど、一生のうちに読める量は限られているので、何をどう読むかが大事。本は自分の身になっていかないと意味がないし、読書はゆっくり考えて、思いを巡らせながら楽しむのが、本来の姿なんじゃないかと思います」

読み手としてだけでなく、書き手としてもマイルスの自叙伝は平野さんにとって、一つの指標になっている。

「僕は今までこの本をたくさんの人に薦めてきました。自分が小説を書くときも、そのイメージを持てるかどうかがとても大事で、僕の本を読んでくれた人が“平野啓一郎の今度の本、すごく良かったから読んでみて!”って誰かに薦める場面を想像できるときは、それなりに反響があるんですよね。

もちろん売れる本を書くことだけを重視しているわけではないけれど、より多くの人に読んでもらいたいときは特に、その光景を自分でイメージできることが大切だと思っています」