『荒野へ』
『荒野へ』は、アメリカの裕福な家庭に育った青年・クリスが、一人アラスカの荒野へと分け入った軌跡を辿るノンフィクション。原野に打ち捨てられたバスの中で遺体となって発見されたニュースは衝撃をもって伝えられた。
「僕は2007年から毎年アラスカで発掘調査を行っているのですが、調査地の近くにあるブルワリーに、クリスが最期を迎えたバスのレプリカが展示してあって。彼が亡くなった場所が自分のフィールドのすぐ近くだと知って、本を読んでみたんです」
1990年の夏、両親の期待に応え、名門大学を卒業したクリスは、誰にも告げず放浪の旅に出る。同じ年、高校を卒業した小林さんは、次の年にアメリカの大学に留学。恐竜研究の世界に、初めて足を踏み入れた。
「クリスは学歴社会やそれを絶対的に信じる親に不満を持ちながらも、いい子を演じて大学時代を過ごします。僕が高校生の頃もバリバリの学歴社会。いい大学を出て、いい会社に入ってというのが納得いかないという気持ちを持っていました。
社会に包まれている自分ではなくて本当の自分が知りたい。大人の戯言ではない“真理”を教えてほしいという思いがあって、そこがクリスと重なったのかもしれません」
荒野で暮らす中で、クリスはそれまで心の支えにしてきた思索家たちの言葉を、実体験を通して真に理解する。
「彼はトルストイやソローなどの言葉をたびたび引用します。例えばソローの“愛よりも、金銭よりも、名声よりも、むしろ真理をあたえてほしい”という言葉を引いているんですね。
これはまさに自分も考えていたことで、彼は野生の中で自分の力を試すことで真理を得ようとした。彼の行動を無謀だと言う人も多く、僕もそのトライは自然に対する変な夢みたいなものだと思う部分もありますが……」
でも、と小林さんは続ける。
「彼はその体験を通して、彼なりの真理を見つけたと思うんです。命を落としたことは残念ですが、ある意味ですごく贅沢で、幸せだったんじゃないかな。
本で読んだことや誰かに聞いたこと、ものを選ぶのではなくて、失敗を含めて、自身の体験を通して答えを見つける。そういう実証主義的な彼の姿勢は面白いと思いますし、自分もそんなふうにして自然や人間のことを学んできた。それは自分や社会に対する見方も変えてくれたと思います」
厳しい環境の中で調査を行う小林さん。自然の美しさに胸を打たれ、その一部になれる深い喜びを感じると同時に、人間の弱さも知った。
「フィールドに入る時は、計画はもちろん、服装やギアに至るまで、万全の安全策を講じます。グリズリーがうようよいるような場所ですからね。自然は想像を超えて厳しいし、その前で人間は脆弱であると身をもって知っています。
それでも危険な場面に遭遇しますので、やっぱりどこかおごった部分があるんですよね。クリスはほぼ丸腰で自分の命をかけて荒野に分け入りました。それが正しいかどうかは別として、これを読むと、人間の傲慢さや、いかに脆弱かということを改めて考えさせられます。
本当の自分を見つめるチャンスを与えてくれる場所であり、人間の傲慢さも教えてくれる存在。この本を読むと、素晴らしさと恐ろしさ、“自然”が本来持つ両面を改めて感じることができるんです」