門があればそこはもう門前。ずっと一緒に遊ぶ場所
吉川浩満
誰もが門前の小僧にならざるを得ないテーマということで思い浮かんだのが、倫理、ユーモア、読み、書き、勉強。人によって増減するかもしれないけど。なんやかんやいっても結局は自分で決めなきゃいけないもの、という観点から選んでみました。
山本貴光
私は、門前にいる人が何かに興味を持ったもののどうしたらいいかわからないとき、さらにどんな門がどこにあるかもわからないときに、それでも何かに出会ったり考えたりするときの手がかりになるもの、という観点で選びました。本と出会う、興味を持つ、考える、言葉を知る、わからないことともどう付き合うかを教えてくれる5冊です。
吉川
まずは山本くんの、本と出会うところからがいいかな?
山本
彷徨(さまよ)える仔羊たちに門のありかを教えてくれるのが目録です。いろいろあるのですが今回は『90年版 岩波文庫解説総目録』を。岩波文庫は1927年の創刊から文芸、哲学、自然科学、社会科学その他、古今東西の古典を刊行している、学術のマップのベースともいうべきもの。無作為抽出的に探るよりよほど効率よく、いろいろな本と出会えますよ。
吉川
あまりに巨大すぎるウェブに対して、手軽で物理的なパッケージにコンテンツが封じ込められているのが本のすごいところ。その最たるものが目録だと思います。紙の本の優位性は下がったといわれもしますが、我々はみんな百数十cmの体と限られた認知能力と寿命の中でやっていくしかない。その点、本というメディアはちょうどいいサイズなんですよね。
山本
身の丈に合ってるんですよね。興味を持つというテーマで選んだのは『ドミトリーともきんす』。朝永振一郎や牧野富太郎などの科学者がキャラクターとして登場して、彼らの仕事がどんなものだったのかを、彼らの著書との関連付けもしながら面白く読ませてくれます。情報量をぎゅっと絞って、こういう人がいたんだよ、という水準で伝える高野文子さんの描き方、興味を持ちかけた人への後押しの仕方が絶妙です。
続いて、大学卒業後に吉川くんの家で開催されていた読書会で読んだアリストテレス『形而上学』。哲学書って一人ではなかなか読み難い本の代表だと思うんですけども、友人と一緒に読む、考えたことを書き込む、折に触れて読む。そうすると、あのときこんな話したな、こんなこと考えたな、と本をフックに記憶が取り出せる収蔵庫のような働きをしてくれる。読み返すこともできて、興味を持続させる装置にも。
吉川
思考を起動させる助けにもなりますよね。なぜ本なのか、を考えるときの我々の最初の回答としては、フィジカルアンカーとしての良さということになるのかな。
山本
まさに物としての錨(いかり)のような働きだよね。次は吉川くんの、方法に繋がる話をしていきましょうか。
吉川
読み書きって数千年前の人間には必要なかったと思うんです。それが、なぜか今、我々はほぼ全員が読み書きしないといけない。生物としては何も変わっていないのに。ここには人類の試行錯誤の跡がある。そこでおすすめしたいのが、古典的名著『本を読む本』です。
山本
入門編から、本に書かれていることを適切に把握する点検読書、精読、1つのトピックについて複数の本を同時に読むシントピカルリーディングとステップを踏んで読書法を手取り足取り指南する本ですね。
吉川
いろんな読み方があるということを知ることができれば、読書のハードルって一気に下がりますよね。続く『みんなのユニバーサル文章術』は、経験豊富なライターの安田峰俊さんが、メール、SNS、LINE、バズるウェブ記事の書き方まで丁寧に教えてくれます。一部の人向けではなく全員に伝わる書き方を、と説くところがいい。大人こそこういう知識が大事ですよね。
持続的に興味関心を持つというテーマにも繋がるんだけど、次は勉強です。仕事であれ趣味であれ、我々はいつだって何かしら独学しなければいけない。そこで『独学大全』です。すでによく知られ、読まれている本ですが、それもそのはず、ここにはたくさんの勉強のやり方が載っていて、しかもたったの3,080円!
山本
読書猿さんが数百冊にわたる学習法を説く本を集め、読み、要約し、まとめている。同じことを自分でやったらどれほどのお金と時間と労力が必要になるでしょうか……。
吉川
一生を棒に振るしかないよね。
山本
人間は失敗するものだし三日坊主にだってなるものだ、という人間観をもとに、うまくいかない人のことを考えてくれていて、勉強はもちろん、救いにもなる一冊ですね。
門前で読む、方法の本と興味を形にするための本
吉川
言葉の話に行きましょうか。
山本
ある日常風景、男がバスに乗っている様子を短くスケッチした文章が最初に提示され、それが99通りの文体で書かれていくレーモン・クノー『文体練習』です。複式記述、隠喩を用いて、予言風に書くと、厳密に、新刊のご案内風、無関心に、とかね。フランス語で書かれたものを朝比奈弘治先生が超絶技巧の日本語で書き分けられているのも読みどころです。
メールの書き方と一緒で、我々は言葉のスタイルをファッションのそれほど真剣に考えていないかもしれない。でも実は、と考えてみるのにぴったりな、一冊座右にあるだけで言葉のクローゼットみたいに使える本ですよ。
吉川
私の選書の最後は、根本的すぎてなかなか捉え難い倫理とユーモアについて。倫理や道徳って、どう考えても大事なものだけど、学び方がわからない。そんな人のために『ふだんづかいの倫理学』を。倫理で大事なのは正義と自由と愛、これだけ。正義は社会の、自由は個人の、愛は身近な関係の倫理です。
山本
和辻哲郎が書いていますが、倫という文字には仲間という意味がある。倫理って、私がどう生きるかという個の話と誤解されがちだけど、他人と自分の関係があって、そこにどんな理があるかという話ですよね。
吉川
『ユーモアは最強の武器である』で扱うユーモアも、誰もが無関係ではいられない。スタンフォード大学ビジネススクールで講義を持つ2人の共著で、組織においてユーモアがいかに大事かを、行動科学をもとに論じたハウツー本です。学校では選択科目、でも人生においては必修科目である倫理とユーモアについて、どう学びどう付き合うかを提示してくれる2冊でした。
山本
最後に『水中の哲学者たち』をおすすめしたいと思います。新たに門をくぐろうとするときの寄る辺ない状態、手探りしながらものを考えるときに何が起きるのかを、永井玲衣さんがご自身の体験を通じて教えてくれるエッセイです。
吉川
人生も社会も複雑で、問題があっても解決されないまま時間が過ぎていくというのが我々の人生。訳もわからず暮らし、わからないなりに楽しかったり悲しかったり面白かったりつまらなかったりして、そこからいろんな考えや行動が生じてくる。その故郷のようなところを描写してくれている本ですね。訳のわからない状態を大事にしているという意味では、『哲学の門前』にも共通するものがある、と言ったらおこがましいのですが。
山本
そうそう。すぐには解決がつかない問題とどう付き合うか、そこに寄り添った思考のあり方を教えてくれて、勇気づけられます。