選び、注ぐ。ただそれだけで、
“あの空気”は作れる。
彼がグラスにワインを注げば、心地よくユルくどこか洒脱な、いつもの夜がまた始まる。開業から9年、店はさまざまに変化してきたけれど、流れる空気は変わらない。
7年のパリ暮らしの内の4年間を、〈ル・ヴェール・ヴォレ〉で過ごした。フランス中の造り手と世界中のワイン関係者たちが“たむろ”し、町の人にも大人気の酒屋兼食堂。白マーカーで肩に値段を書いたボトルがずらりと並び、小ぶりのグラスでガンガンやる。日本でも多くの店がコピーしたあのスタイルの元祖だ。
「毎日がカオス。一生いたいと思った」と、笑う。満席でもスタッフは平気でたばこを吸いに行く。星付き店並みの食材がごく簡素な厨房で調理され、手でバキッと折ったバゲットが添えられる。「無給でいい」と潜り込んだはずが、すぐ社員になり、あっという間の4年だった。
「いいワインを選び、サーブして、売る。それさえきちんとできていれば、あとは何でもありだった」
帰国を余儀なくされた時、東京で同じ店をやることにした。オーナーも快諾し、暖簾分け的な「トーキョー」店が誕生。ところが簡単にはいかない。日本だとついかしこまった接客をしてしまう。料理人も何度か替わった。
でも「いいワインを選び、サーブして、売る」楽しさはフランスにいた時から変わらない。いいワインとは、人として付き合える造り手のもの。短期間だが住み込みで働いたドメーヌ・モス一家のように。
ビストロとしてはいち早く、9年前の開業時から酒販業を始めた。パリの店のように、飲めて買える場でありたいから。「自分の看板で」と、5年前に店名も変えた。2022年の春には、客がより気軽に寄れるように、カウンターを拡張。今は基本、1人で店に立つ。
常連客は、サービスが少し遅れても、しょうがないな、という顔を(でも、なぜか嬉しそうに)しながら、店主に軽口を叩く。いいワインが人の輪を作る、という本質。形は違えど、その気配は受け継がれている。