prologue ジャズは「モダン」の時代を持つ唯一のポップミュージックです
アメリカで生まれたジャズは、歴史的なムーブメントを持つ珍しい大衆音楽。20世紀以降のポップミュージックの中で唯一、「モダン」の時代を持っている音楽です。モダンとはすなわち、「俺たちが現在やるべきことは何か。過去とは何だったのか」みたいな概念ですね。モダンの時代を持ったことで、「プレモダン、ポストモダン」という区分が発生して、ジャズは芸術運動になりました。
同じポピュラー音楽でも、ロックやポップスは芸術運動としての歴史が構築されにくいんです。流行り廃りはあっても、アティチュードや社会の中で担う役割はあまり変わらないから。これに対してジャズだけが、大きなムーブメントとして歴史や社会における立ち位置を変えていった。とても特別なことなのです。
ではジャズに「モダン」が登場したのはいつ頃でしょう。それは1940年代後半です。当時のブラックミュージックといえば、まずブルースが挙げられます。またはそれらをポップス化した音楽が、「レイス・ミュージック」という(今思えばひどい)枠組みで流通していました。
そんな中で「モダン」なジャズの担い手となったのは、このような黒人大衆音楽と並走しながら、その成分を十分に取り込んで、しかし、そこから全く違う次元に躍り出たブラックミュージシャンたちです。アメリカ固有の音でありながら、地域や民族から離れ、世界中のリスナーが「自分のもの」だと思えるような音楽を、彼らは鳴らすことができた。この「普遍化」へのステップを踏んで、ジャズの歴史化が始まります。
重要なのは、それがアメリカのブラックミュージシャンから生まれ、公民権運動とも結びついていったこと。文化的に搾取され、差別されていた人たちが、「20世紀の常識となる普遍的でモダンな音楽を、自分たちが創るんだ!」と高らかに宣言するのだから、それはもう、極めて革命的なことだったのです。ジャズは、人権とも直結する芸術運動を起こせるポップミュージックとして注目され、世界を席捲した。その歴史を知ると、ジャズの聞こえ方が今までとはちょっと変わってきます。
さて、そんなジャズのムーブメントをよりよく想像してみるために、ここでは19世紀の西欧絵画史を参照してみたいと思います。国家や政府から離れて、人間が人間であることを表現した運動が、ジャズより1世紀前のヨーロッパ絵画史では既に起こっていた。この両者を対比させながら、ジャズに歴史が生まれた理由を考えてみましょう。
chapter1 踊りたい!俺たちのジャズを発見
何を歌うか、それが問題だ──アメリカが独自の文化を得たのは1920年代。第一次世界大戦後に多様な文化がパリからNYへ移り、アメリカは自国の文化を再創造します。その一つがジャズでした。
長い間、メジャーな音楽といえばヨーロッパのコピーだったアメリカで、若者たちは「これがアメリカだ!」と言えるような音楽を発明します。一つはミュージカル全盛期に生まれたブロードウェイ・スタンダード。代表的な作曲家はジョージ・ガーシュインやコール・ポーターです。
そしてもう一つが、南部のニューオーリンズから北部へと伝播していった新しいダンスミュージック。禁酒法下のフロアで流行したこの音楽が発展して、大人数によるビッグバンドのスタイルが成立し、30年代に入るとスウィングジャズのブームが巻き起こります。代表選手はデューク・エリントンとフレッチャー・ヘンダーソンでしょうか。
ちなみに「ジャズ」という言葉は、「踊れる音楽」「チャラい音楽」くらいの意味だとか。踊りまくる若者を指して「ジャズだよね」というふうに使われました。何しろみんな踊りたいんです。アメリカは、この時期に初めて「みんなで歌って踊る」ための格好の題材を発見した。それがジャズという文化です。
さて、唐突に思われるかもしれませんが、僕はこのジャズの発見を、1世紀前の19世紀後半に西欧で誕生した絵画の運動=写実主義(レアリスム)とのアナロジーで考えてみたいと思います。写実主義の代表はフランスのギュスターヴ・クールベ。絵画といえばキリストの生誕やナポレオンの肖像が崇められていた社会に、イチ市民の葬式を巨大キャンバスに描いた「オルナンの埋葬」(1849〜50年)を突きつけた強者です。
当時のフランスは第二帝政に向かう混乱期。その中で、「ルイ・ナポレオンの肖像より、俺たちの葬式を見ろ」というのは相当なケンカ腰です。これからは市民が世界を作るんだ、と宣言したも同然ですから。
こうして、絵画の新しい題材、つまり「歴史の主体としての我々」を発見したのが写実主義だったのです。写実主義は、この後のあらゆる近代絵画の原点と言ってもいいでしょう。その姿は、アメリカが「俺たちの歌」を発見したこととも重なります。
chapter2 ビ・バップと印象派が世界を変えた
「何を歌うか=演奏するか」から「誰がどう歌うか」へと変化したのが次の時代。「俺が歌えば、それがジャズなんだ!」ということですね。
ここでは絵画史を先に話しましょう。クールベは市民という新しい題材を発見しましたが、描き方は古典のままでした。対して、描き方までガラッと変えたのが、印象派の先駆者であるエドゥアール・マネであり、マネに続く印象派の画家たちです。
マネは、絵画とは純粋に色彩と形態を追求するものだという、モダンアートの先駆け的な考えを持っていたと考えられています。
ジャン=リュック・ゴダール先生が「映画を発明したのはマネだ」みたいなことを、確か『ゴダールの映画史』シリーズで言っていますが、おそらくマネは、「再現されたものを通じてどこかにあるイメージを観るのではなく、今ここにある色と形を描く/観ることが大事」と、絵画の価値を「現在」に引き寄せたんです。その考えに影響を受けた後続の画家たちが、美術史上最大のエコールとなる印象派を生む。世界的な芸術の価値を、マネは創造したわけです。
このような価値観の転換をジャズ史において行ったのが、サックス奏者のチャーリー・パーカーだと僕は考えています。
アメリカ的な音楽は1920年代に出揃った。ではそれをどう演奏するか。40年代後半、パーカーはトランペット奏者のディジー・ガレスピーとともに「ビ・バップ」という手法を編み出します。鍵になったのはアドリブとかインプロビゼーションとも呼ばれる「即興演奏」です。
実はアドリブという奏法自体は、ダンスミュージックが生まれた頃からありました。メロディが終わっても踊っていたいから、伴奏を何度も、即興でアレンジしながら繰り返す。パーカーは、このアドリブ部分の魅力を最大限に拡大したような音楽を発明したのです。例えばガーシュインの名曲を元ネタにしてコード進行だけを借り、演奏者個人の能力によって、即興で作り変えていく。
過去の音楽を、ビ・バップによって個人の表現に還元したわけです。即興というと勢い任せみたいにも聞こえますが、実はめちゃくちゃ理論的。しかも高い技術と知識を背景に演奏されている。「創造性は、演奏している俺たちと、聴いているあなたの間にある」と、創造のありかを現在に持ってきたのがさすがです。
演奏体制がビッグバンドからコンボと呼ばれる小編成に変わり、全員が平等にソロを取り合うようになったのもこの頃から。「個」が非常に大事な音楽の要素となり、後にモダンジャズのイメージを形作ります。
この画期的なビ・バップに、「カッコいい!そして、これなら俺もできる」と世界中の人が注目したのも特徴です。多彩な才能が関わって国際的な運動になった。その点も印象派と共通していますね。