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星野源さん、“ジャズ”の楽しさって何ですか?

「ジャズは今、ジャンルの垣根を越えて増殖している」と星野源は言う。幼い頃からジャズに親しみ、現在のシーンを代表する音楽家たちとも交流を持つ彼に、ジャズとの関わりやその楽しみ方を教えてもらった。「星野源が選ぶ、今体験してほしいプレイリスト」はこちら

photo: Seishi Shirakawa / interior styling: Fumiko Sakuhara / styling: TEPPEI / hair & make: Yoshikazu Miyamoto / text: Yusuke Monma / prop cooperation: PROPS NOW, AWABEES, Compartment, KAKULULU, beatink

やっぱり自分のいちばんのルーツはジャズ

BRUTUS

ジャズを初めて聴いた時のことを覚えていますか?

星野源

これが最初という記憶はないですけど、父がピアノを、母がジャズボーカルを、どちらもアマチュアでやっていて、家にアップライトピアノがあったんです。父はそれを仕事の時以外はずっと弾いていたし、朝から晩までジャズのレコードが流れている家だったので、たぶん母のお腹の中にいた時から聴いていたんだと思います。

物心がつく前から父が組むバンドを小さなジャズバーで観ていて、車の中ではジャズやR&B、母の好きなユーミンやハイ・ファイ・セットがよく流れていたので、ジャズも歌も生活の中に自然にありました。

初めてジャズを意識したのは、『スーパーマリオブラザーズ』をやった時ですね。(最初のステージである)「1−1」のBGMが家でいつも流れている音楽と同じように聞こえたんです。メロディの裏のチッチキチッチキチというリズムが、ライドシンバルをフォービートで刻んでいるように聞こえて。それがジャズを──その頃はまだジャズという言葉では考えてなかったけど──なんとなく意識した瞬間だったような気がします。

B

その後、ジャズを積極的に聴くようになったのはいつ頃ですか?

星野

父がジャズのミックステープを作ってくれて、この曲が好きだと言うと、そのアルバムを聴かせてくれたんです。子供の気持ちとしては、ヒットチャートで聴く曲やアニメの曲の方が楽しいなと思っていたけど、その中でもカッコいいと思える曲があって、それがトミー・フラナガンとかニーナ・シモンとかビル・エヴァンス、それにクリフォード・ブラウン&マックス・ローチでした。小学生の頃ですね。

B

音楽を聴く側から、やがて表現する側に変わっていく中で、ジャズは星野さんにどう影響を与えましたか?

星野

家にはピアノがあったのに、僕は中学からギターを弾き始めるんです。たぶん父とは違う方向に行きたかったんですよね。でもジャズを聴く人が周りにいなかったから、みんなが聴くようなエクストリームやミスター・ビッグをコピーするところから始めて。

中高の頃は、聴いてはいたけど、ジャズから離れたところで音楽をやっていました。高校を卒業したあとに組んだサケロックも、細野晴臣さんみたいな──でもまったく違う──音楽を作ろうと思って組んだバンドですけど、ふと気がついたら、まるっきりジャズの編成なんですよ。考えてみれば、ずっと好きだったクレイジーキャッツもジャズバンドだし、やっぱり自分のいちばんのルーツはジャズなんだなと。

その影響が自分の音楽として表れてきたのは、コロナ禍に鍵盤で曲を作るようになってからです。それまではギターで作りながら、なぜ思い通りの響きにならないんだろうって、20年くらい思ってきたんですよね。でも鍵盤で弾いた途端に「これだ!」って。だから「創造」以降の曲には、自分のルーツがニュアンスとして出ていると思います。

ミュージシャン・星野源
「ジャズだということを忘れて、その感覚だけ浴びるのが楽しい」

大事なのは、鳴っている音そのもの

B

今のジャズとかつてのジャズには違いがあると思いますか?

星野

違うというより、ジャズが増殖しているという感覚ですね。昔からいろいろな人がいたと思うんです。ジャズにひたむきに打ち込む人、その影響をほかのジャンルに取り込む人、ジャズそのものの概念を変えていこうとする人……その中で特にこの7、8年くらいは、「ジャズはこうでなければ」という呪縛から解き放たれた世代の人たちが、ジャズを自由に増殖させているような感じがします。

結果ジャズフィーリングみたいなものが、ジャズというジャンルを掲げていない人たちの中にも増えてきているというか。そういう人たちの曲は聴いていてすごく楽しいし、嬉しいです。自分が最も居心地よくいられる音楽がジャズなので。

B

星野さんにとっては、概念にとらわれないものこそジャズじゃないかと。

星野

専門家ではないので、僕は自分の思ってることしか言えないけど、聴く側にとっても、ジャズはこうでなければいけないみたいな考えはもうなくてもいいんじゃないかなって。それよりも自分のイマジネーションに従い、自分がいいと思う音楽をやろうという音楽家の方が、世界を見ても広く受け入れられている気がします。

語源を調べると、卑猥だったり、差別的な言葉を語源とする説もあったりして、ジャズと呼ぶなというミュージシャンもいるんですよね。最近、日々更新されていくジャズを聴いていると、大事なのは鳴っている音そのものであって、ジャンルの枠内に収めようとする行為ではないんだなと思います。だから聴く側も、ジャズという音楽を忘れて、その音の感覚だけ浴びるのがいいんじゃないですかね。例えばジャズのプレイリストを聴く時に、ジャズと思わずに聴くとか。

B

星野さんの友人でもあるルイス・コールは、ジャズかどうかにとらわれず、自分の感覚に従って音楽を作っている一人ですね。

星野

お互いに好きな曲を聴かせ合うと、やっぱりルイスはいろいろなジャンルが好きなんです。もちろんジャズをしっかり学んでいるのに、曲を作る時はジャンルから解き放たれているように見える。

ジャンルの名前がついたルールブックではなく、ルイス・コールという個人のルールブックで音楽を作っているところがすごく好きです。だからルイスの曲を聴くと、これはなんのジャンルだろうと思うし(笑)。

B

本当ですね(笑)。

星野

でもビッグバンドの編成で聴くと、ジャズフィーリングの薫りがわかりやすく強まったりして、結局はどちらでもいいじゃないかっていう気がするんです。ドミ&JD・ベックも素晴らしいですよね。とんでもないテクニックを持つミュージシャンだけど、シーンに追いつこうとしたというより、隔離された場所で好きなことをしていたらこうなったという感じに見える。

音楽には本来そういうものが必要だと思うんです。流行とは無関係に、自分に潜っていって、とんでもないところに飛び出たみたいな。サンダーキャットとか、サム・ゲンデルとか、最近のジャズ界隈──あくまでカッコつきの「ジャズ」だけど──にはそういう感覚を持つ人が多いですね。

幸せな無法地帯みたいだなって、すごく刺激をもらいます。

B

過去の音楽の中にも、ジャズを意識することなく楽しめるものはありますよね。

星野

ローランド・カークの『The Return of the 5000 Lb. Man』は小さい頃から好きなアルバムです。歌ってるし、しゃべってるし、鳥がピヨピヨ鳴いてるし(笑)、楽しいですよね。いまだに古さを感じません。ジョージ・デュークはジャズピアニストからキャリアを始めて、歌ったり、ディスコに傾斜したりと、ジャンルの垣根を越えていった。

これから聴き始める人は、そういうところから触れてみて、いわゆるモダンジャズを本腰を入れて聴いてみると、聞こえ方も変わってくるはずです。イノベーションを重ねて、あらゆるものを削ぎ落とした果てに、ここに辿り着いたんだなって。いずれにせよ、今はジャンルがジャンルを壊していってる気がするから面白いです。

一方で「Jazz Is Dead」を掲げた作品を制作しているアリ・シャヒード・ムハンマドが、先人たちに敬意を払いながら、真剣にジャズと向き合っていたりするので。LAへ行った時にアリと話したんです。そうしたら「源のために用意した」と言ってプレイリストをくれて、聴いたらいろいろなジャンルの曲が入っていた。ジャンルの意味って何だろうと本当に思いますよね。

ミュージシャン・星野源