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洋食と麦酒はセットです。文筆家・井川直子が綴る洋食店、神保町〈ランチョン〉

ビヤホールやバーでは、洋食は最高のツマミになる。カツやフライ、デミグラス、ベシャメルソースのあれこれがお供ならつい杯も進むというもの。東京の洋食店についての著書もある井川直子さんが、愛する酒場を語る。

photo: Tetsuya Ito / text: Naoko Ikawa

洋食と麦酒は、文明開化の時代からセットです

酒場で、洋食?ちょっとピンとこないかもしれないけれど、明治時代、文明開化が日本にもたらしたものを思い描いてほしい。西洋料理とくれば、合わせるのはやはり洋酒。葡萄酒(ぶどうしゅ)(ワイン)、火酒(かしゅ)(ウイスキーなど)、そして麦酒(ビール)である。

鹿鳴館や横浜の西洋料理店では外国からの賓客(ひんきゃく)が好み、政治家は自邸で西洋の食事と舶来物のビールを振る舞う。洋食とビールは、文明人が嗜(たしな)む、文明の象徴だった。
やがて国内製造の“和製麦酒”が現れると、ビール会社が宣伝のため競って開店したのがビヤホール。この頃から市井の人々が口にできるようになったが、ただしこちらはドイツのビヤハーレに倣い、料理は簡単なつまみだけ。洋食とは切り離された。

明治42(1909)年に創業した〈ランチョン〉は、しかしビール会社とはルーツが異なる、個人経営のビヤホールだ。料理人の初代、宮本治彦さんが作る洋食を味わう店であり、文明としての「生ビールが飲める洋食屋」であった。

神保町〈ランチョン〉店内2
2階の店へ上がる階段には、〈ランチョン〉の歴史を語る写真が。昭和以降の、神田神保町の変遷も窺える。

なんせ文学も音楽もハイエンドの娯楽だった当時、それらを発信する日本のカルチェラタン、神保町に開店した店である。ただし百貨店の前身ともいわれる勧工場(複数店が集まる共同店舗)の一つだったため、屋号がない。そこで常連の東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)の学生らが“気取ったランチ”の意味で「ランチョン」と呼び始めた。洋食とビールは、彼らにとっても気取った地位だった、ということ。

そうして114年後。こんもりと泡がのっかった樽生を飲みながら、私は毎度のように、一家のご先祖に心で手を合わせている。明治、大正、昭和、平成、令和と〈ランチョン〉を繋いでくれてありがとう。

2代目の娘婿(むすめむこ)・鈴木信三さんからは料理人ではないが、店に立ち、生ビールの評判も上げながら、戦前戦後の困難を乗り越えた。3代目の一郎さんは高度経済成長期からバブルへ、激変する日本人の経済と嗜好の大波にも呑まれず、流されなかった。
現在は4代目の寛さん。これまたバブル崩壊後の長い不況からコロナ禍にも負けず、バトンのように手渡されてきた〈ランチョン〉スピリットの守り人となっている。

そのスピリットとは何かというと、実直さだ、と私は思っている。もちろん時代、時代で洋食のラインナップは微調整されるが、変えない一線、を決めて動かぬ実直さ。
ビールで言えば、〈ランチョン〉の樽生がいつ訪れても「いつもの味」なのは、必ず寛さんが注いでいるからだ

「ビールの注ぎ手は代々、当主だけ」
生ビールは注ぎ手によって味が変わる。だからこそ、いつでも誰にでも同じ一杯が届くよう「当主が責任を持ちます」という、それは〈ランチョン〉一族の誓いである。

樽生は人気復活のずっと以前からマルエフだが、アピールするどころかメニュー名も「アサヒ生ビール」のままにしている淡々ぶり。4代目が注ぐビールは、決して前に出過ぎない。単独でなく洋食と一緒に飲みたい、飲んだら洋食が欲しくなる。ごはんみたいな相棒感なのは、たぶんビールと洋食が同じ歩幅なんだろうな、と思う。

たとえばメンチカツ。昭和以降の洋食屋では市販のソースをかける店が多いけれど(それもまた枝葉の一つだが)、〈ランチョン〉ではデミグラスソースを下に敷く正統フォルム。でありながら、クラシックなフランス料理の濃厚さは追求していない。その代わり、しみじみとした野菜の甘味を伝えようとしているのだ。前者ならワインを呼ぶだろうが、後者はやっぱり奇を衒わない、寛さんのビールがいい。

現在のシェフ、赤瀬道也さんによると、香味野菜やフレッシュトマトを崩れるほど煮込み、すり潰して一度濾し、さらに目の細かいシノワに替えて濾すのだそうだ。よりなめらかに。そして「野菜の旨味を一滴も失うまじ」の意志を持った仕事である。特別な野菜や肉を使っているわけじゃない、と言うけれど、そうした意志を持つ仕事は今や特別かもしれない。それがここでは現役のあたりまえ、当然のように自家製だ。

「先代のシェフに教わった通りの作り方です。長い年月にわたって継がれてきたものを、簡単に変えるわけにはいきません」

ああ、114年。当主の鈴木家とともに、厨房で実直な仕事を続けてきた料理人たちを思った。彼らの名前が表に出ることはないけれど、その仕事は現代の宝だ。

昨日今日の料理人にはできるまい、と唸る仕事の一つに、盛りつけがある。波打つマヨネーズ、交差するホワイトアスパラガス、ピンと跳ねたトマトの皮。オムレツのアーモンド形とポテサラのアイスカップ形、サラダの極細せん切りにんじんやパセリの配置に至るまで。昭和のフォントにも通じる楚々とした感性に、ため息が出る。

普通に、真面目に。酒場だけれど人の居場所をつくっているような、このビヤホールの午後3時は、穏やかな私の天国だ。