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建築家・吉村順三が設計した、猪熊弦一郎の住宅兼アトリエ。二人の友情から生まれた白のモダニズム

出身地・香川では「いのくまさん」と呼ばれ、人々の日常に溶け込む絵画や彫刻を生み出した猪熊弦一郎。長年の友人である建築家・吉村順三が設計した住宅兼アトリエは、彼の愛するものを輝かせ、自身の創作や訪れる人々の感覚を刺激する特別な空間でした。

Photo: Mie Morimoto / Text: Katsura Hiratsuka / Edit: Tami Okano

友人を招き、創作に勤しんだ
ロフトのような住まい

軽やかな筆致で人物や都市などを描き、昭和の画壇で独自の境地を維持し続けた画家・猪熊弦一郎。その作品はタイムレスな魅力を放ち、今も多くの人の心をつかんでいる。

活動の拠点となる家も、猪熊の自由で楽しい作品群と切り離せない関係にあった。固定観念にとらわれず、あらゆるものに美を見出した猪熊を表すかのように、室内には世界各地で集めたガラスの瓶や人形、つぶれた缶などのコレクションが並べられた。

また、ニューヨーク時代の家は「フミ・レストラン」とも呼ばれたのだが、もてなし上手な妻・文子が振る舞う料理を囲み、美術のみならずデザインや音楽など多分野のクリエイターたちが集ったという。

猪熊弦一郎のかつての住宅兼アトリエ 外観
外観。かつて生い茂っていたオリーブの木を避けるように、建物の角を凹ませている。竣工時はコンクリート打ち放しで、白い塗装は後から。2階の一部が3mほどはね出し開口部も大きく、屋上にはテラスが広がる、浮遊感のある外観だ。

猪熊は東京、パリ、ニューヨーク、ハワイと拠点を移しながら、画風を発展させてきた。晩年の国内の住まいは建築家・吉村順三の設計で、今も田園調布の落ち着いた住宅街の中に残る。
吉村は、戦後日本の建築界を牽引した人物の一人で、素朴な材料と単純な構成から心地よい空間を生み出し、猪熊と同様に今なお新しいファンを獲得し続けている。

〈田園調布の家〉の建物は鉄筋コンクリート造。1階に妻・文子の弟一家が暮らし、2階に猪熊夫妻の住宅とアトリエ、3階にゲストルームと倉庫があった。床面積は約370㎡。

広いがしかし“お屋敷”的な威圧感はなく、第一印象は「白くて軽い」だ。白一色の内部空間や大きな開口部がもたらす、軽さと明るさに驚かされる。
吉村による住宅は、ベニヤなどで仕上げられた茶色くて落ち着いた空間が主流だ。だがここは、ほかの吉村作品にはない趣を持つ。

なぜほかと違うのか。それは猪熊と吉村の深い関係に由来する。竣工は1971年。2人の親交は、そこから20年以上遡る。猪熊は建築に関心が強く、仲間と立ち上げた美術団体〈新制作派協会〉に49年、建築部を設けた。吉村はそのメンバーの一人だった。

そればかりでなく吉村は、猪熊の作家人生の節目にも大きく関わった。猪熊は1955年から約20年間ニューヨークで活動した。そこでマーク・ロスコやジャスパー・ジョーンズ、日本時代から縁のあったイサム・ノグチやイームズ夫妻などと交流しながら、抽象的な画風へと舵を切った。

その渡米を後押ししたのが、当時アメリカでの仕事が多かった吉村の「弦ちゃん、ニューヨークへ行ったら、君が本当に好きなものがいっぱいあるよ」という一言だった。

猪熊は吉村に自宅兼アトリエの設計を依頼した理由を「今まで内外のいろんな建築家とも付き合ったし、建築も見ましたが、やはり日本でお願いするんだったら順三さんだと思いました」と語っている。
猪熊は人生の節目に吉村にアドバイスを仰ぎ、吉村は猪熊の指向を正確に見立てた回答を出した。設計依頼も、その信頼があってこその選択なのだろう。

猪熊の創作と生活の拠点を
大切に継承する。

田園調布の猪熊の住宅とアトリエは2012年より、妻・文子の姪にあたる片岡葉子さんの夫で建築家の大澤悟郎さんが事務所として使っている。築50年になる家には不具合もある。

「家は“血管”から弱ってくる」と毎週3階に上がってバルブを開け水を流すなど、こまめに状態をチェックしメンテナンスに気を配る。「手入れをし、使うほどに、空間のプロポーションの良さを実感する」と大澤さん。

空間のプロポーションに大きく関係しているのは天井高だ。「アーリーアメリカンの建物のように、あまり高くしないように」という猪熊の意向から、2.2mに抑えられている。それでも閉塞感を感じないのは、天井がフラットに繋がっているから。

そう、この家は壁も天井も真っ白な「ワンルーム」で、リビングとダイニング、キッチン、そして寝室が一つの空間に収まっている。明確な境界がなく、さまざまな機能がヒエラルキーなく一体化している。その中核に白くミニマルなキッチンとレンジフードがオブジェのように並ぶ。

「オープンキッチンは吉村の作品ではまだ珍しく、猪熊のニューヨークでの暮らしぶりを知るからこその提案でしょう」と大澤さんは指摘する。
客人たちはキッチンの前の床(当時はカーペットだった)に座り込んで長居をするのが常だったという。猪熊夫妻のオープンな性格や創作のスタイルに、ぴったりと合った空間だった。

竣工当時から結婚するまでこの家の1階で暮らした葉子さんは、猪熊の空間に対する美意識の高さが記憶に残っているという。
「気持ちよく散らかっていることが大事だと猪熊は言っていて、室内はいつも物で溢れているのだけど、うまく配置されていました」

そうした猪熊のコレクションも〈丸亀市猪熊弦一郎現代美術館〉には収蔵されている。猪熊にとっては、生活も作品の一部だった。

吉村は芸術家の住宅をほかにいくつも設計してきたが、暮らし上手、もてなし上手な猪熊夫妻を深く理解したからこそ、ほかの作品では見せない、白く研ぎ澄まされた空間を提案した。
その空間が、猪熊の審美眼にかなったものたちを輝かせ、訪れる人の視野を広げるきっかけを与え続けた。

猪熊弦一郎と吉村順三
年表

● 猪熊弦一郎 ◇ 吉村順三


● 1902:猪熊弦一郎、香川県で生まれる。
◇ 1908:吉村順三、東京で生まれる。
● 1922:現・東京藝術大学入学、藤島武二に師事。のちに中退。
● 1926:帝国美術院第7回美術展覧会初入選、以降2度の特選。1934年まで帝展を舞台に活躍。
◇ 1931:現・東京藝術大学卒業。アントニン・レーモンドに師事。
● 1938:フランスに移り、アンリ・マティスに指導を受ける。
◇ 1940:アメリカに渡り、レーモンドのアトリエに滞在。仕事をする。
● 1940:第二次世界大戦により最後の避難船・白山丸で帰国。
◇ 1941:アメリカからの最後の引き揚げ船・龍田丸で帰国。吉村順三設計事務所開設。
● 1950:慶應義塾大学学生ホール壁画「デモクラシー」などで毎日美術賞受賞。翌年、上野駅壁画「自由」完成。
◇ 1954:MoMA中庭に〈松風荘〉建設。
● 1955:パリへと向かう途中滞在したNYに活動拠点を移し、イサム・ノグチらと親交を深める。
◇ 1955:〈国際文化会館〉竣工。
◇ 1956:ニューヨーク日航事務所竣工。
◇ 1962:東京藝術大学教授就任。〈軽井沢の山荘〉竣工。
◇ 1971:〈田園調布の家(猪熊邸)〉竣工。翌年ニューヨーク建築家協会デザイン優秀賞。
● 1975:NYを引き払い、東京とハワイへアトリエを移す。
● 1991:丸亀市猪熊弦一郎現代美術館開館。翌年、親友イサム・ノグチと2人展を開催。
● 1993:90歳で逝去。
◇ 1997:88歳で逝去。