ジャンルを問わず「ガチガチのリアリズムよりは不思議だったりいびつだったりするものに惹かれる」という斉藤さん。10代から何度も開いた3作品、まずは舞城王太郎のデビュー作から。
『煙か土か食い物』
「一度入ったらもう出られない舞城ワールドへようこそ!『煙か土か食い物』は初めて読んだ舞城作品でした。高校1年のときに書店でタイトルを目にして、これは絶対に自分と親和性があるぞ、と直感が働いて。
『Smoke, Soil or Sacrifices』という英題もかっこよすぎる!と開けば1ページ目から半端ないドライブ感。あっという間に虜になりました。とにかく言葉の扱い方が素敵で、書き出しやタイトルだけで好きになってしまいました」

初読から15年。読書の体験にも変化があるという。
「“ここではないどこか”に焦がれていた10代の頃は自身に重ねて読んだものですが、地元を離れ30歳になった今は、家族について語られる側面にぐっとくる。本に書いてあることは変わらないのに、読み心地が変わっていくのは不思議ですよね。
ミステリーとしてはかなり破格で、主人公・奈津川四郎のひらめきが、名探偵も密室も暗号も一瞬でぶち壊し、数理的直感力から突如、謎の図が導き出されてあっという間に解決しちゃう。こんな発想があるのか!と笑い転げます。
主人公の兄が書いた小説について、文体が新しいだけでホメロスやチョーサーやメルヴィルには遠く及ばないと断じる自己言及的な文言があったり、ユーモアはもちろんシニカルさもありつつ、すべての根底に愛がある。
そしてワンフレーズで撃ち抜く天才です。ほかに舞城作品でいうと、紙の本は手に入れにくいかもしれませんが、『ディスコ探偵水曜日』もぜひ読んでほしいです!」
ユーモアはユーモアでも、中島らもが書く文章には、また一味も二味も違う魅力を感じている。
「滋味深くペーソス混じりで、じんわり染みてくる文体が大好きです。若い頃のはちゃめちゃなエピソードも面白く、『僕に踏まれた町と僕が踏まれた町』などエッセイもいろいろ愛読しています。
中学生で初めて『今夜、すべてのバーで』を読んだときは、らもさんが描くお酒のロマンティックさに憧れるあまり、ポカリをお猪口に見立てたキャップに注いですすったりもしました。
“『教養』のない人間には酒を飲むことくらいしか残されていない。『教養』とは学歴のことではなく、『一人で時間をつぶせる技術』のこと”だという名言も年を重ねるとしみじみ染みる。
こういう言葉のかけらが自分のなかに残っていて、再読しているときふいに蘇る感覚がある。本を繰り返し読むことの楽しさってこういうところにもあるんですよね」
作家の言葉が、自由に
生きることを教えてくれる。
「10代の頃は、物事にはロジックやルールがあって、それは守られるべきだと信じていたんです。でも生きていくうちに、人間ってそんな論理的にできていない、矛盾もある生き物だから、直感を大事にしようと思うようになりました。本を読むことも、より自由に楽しめるようになった気がします」
思考を解きほぐすのに貢献したのがヴォネガットの作品で、特に『猫のゆりかご』の影響は大きいようだ。
「叔父がヴォネガット作品をまとめて貸してくれたのが中学生のとき。どの作品も好きですが、なかでも『猫のゆりかご』は何度も読み返しました。
初読では、運命というものについて自分が考えていたことが書かれていて驚いたし、声優一本でやっていくか悩んでいた大学3年のときには、あらゆることが定められていたとするボコノンの教義を手本にしてもいいのかも、と背中を押されました。
作中の“ナイス、ナイス、ヴェリ・ナイス”という歌詞を『スプートニク』という曲に引用したこともあります。この小説を生きていく指針とすると“真実の事柄は、みんなまっ赤な嘘である”と書かれた教義に反するかもしれませんが(笑)、僕にとってはずっと頼りにしたい一冊です。
この先、年を重ねても読み返し、感じ方の変化も味わいたいですね」
