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小説家・石沢麻依が語る、わたしの百読本「精緻な細工物のような美の世界に取り込まれる」

デビュー作『貝に続く場所にて』で、幾多のモチーフとイメージを、時間と記憶と共に取り込み、幻想と現実を重ねた世界を現出させた石沢麻依さん。「完璧な小説」と絶賛するイサク・ディネセンの物語集の奥深き魅力を語る。

Photo: Shin-ichi Yokoyama (books) / Text: Hikari Torisawa

「本を読むとき、初めは飢えを満たすように、2回目は時間をかけて、わからない箇所や細部までじっくり味わうように何度も繰り返します。

本はそもそも1回で味わい尽くせるものではないので、少なくとも5回は読むことにしています。繰り返すうち、視点を変えてみたり、別の作品と頭のなかで混ぜるようにしても面白い。

全体を通して読むのも、1話を丹念に追うのもよいのですが、パッと開いたページを読み返すだけで、瞬間的に香りや音が立ち上がってくるのが『七つのゴシック物語』。
映画化された『バベットの晩餐会』などでも知られる、イサク・ディネセンの作品です」

『七つのゴシック物語』

デンマーク生まれの女性作家が男性を思わせるペンネームを名乗って英語で書き、1930年代のアメリカで、次いでイギリスで発表した物語集。

18〜19世紀にまたがる100年間のヨーロッパ各地を舞台にした7編で、洪水が起き、人は旅に出、愛と思い出が語られ、貴族に役者、修道院の女も娼婦も、身を翻しながら物語を往来する。
2013年の日本語訳の刊行を知るやすぐさま予約し、日本からドイツに取り寄せて読んだという2冊。石沢さんをこれほど夢中にさせるものとは?

「美しいけれど、とりとめのない物語という印象を抱く人もいるかもしれません。しかし、ルーペをどこに当てるかによってまったく違ったものが見えてくるほど、精緻な細工物のように作られた小説だと思います。

読んでいる自分さえも物語に組み込まれているのではないか?と錯覚させるほどの入れ子構造の見事さ、語りの素晴らしさ、そして読むたびに違う層が現れて新しい顔を見せてくれること。
目に見えているものが実は信用ならず、鏡の向こう側に存在するかのように反転していく構造に惹かれます。ディネセンが描く、特に、年老いた女性たちがなんとも魅力的なのです。

『ノルデルナイの大洪水』の、夜と昼を表す名を持つ貴婦人、『エルシノーアの一夜』の、かつては美しかった老姉妹など、年をとって分別をつけた女性の枠におとなしく収まらず、自分の人生すらも一つの物語として楽しむ、ユーモアと知性のある姿に惹きつけられます。
おぼろでありながら生き生きとした、心象風景に収まらない描写がまた素晴らしい!」

小説家・石沢麻衣

真実とは、剥き出しでなく
ベールに隠されてある。

「作品という舞台の上で、ベールが幾重にも重ねられ真実とも偽りとも離れて曖昧になっていく。
現実の世界では、すべてを暴き出して勝利の雄叫びを上げるような傾向があると思うのですが、人間の本質って奥底まで潜って見えるものもあれば、そこからすり抜けるものも、覆い隠されることで逆に浮き彫りになる真実もある。

現は夢、夢は現とも言うべき、ベールに隠されたものに私は魅力を感じるし、その謎に翻弄されたいとも思う。合わせ鏡を覗き込んだとき、無数に映り込む像の一つくらい、こちらにしかめっ面を向けているんじゃないか、と考えると楽しくてならないんです」

『ピサへの道』という一編には、鏡の間とそこに揺らめく鏡像に実人生を重ねて考察する場面がある。

「ここでは、鏡が像を歪ませるように、自分というものも人の目によってカリカチュアとなることが語られます。自分すらも一つの分身のように扱うこの遊戯性は、人が定点になり得ないことを明らかにしているように思えます。人ってどうしても自分を軸に物事を見ようとするし、特別性を獲得したいという欲望がある。

小説でも、登場人物を定点として世界に向き合おうとするけれど、そもそも人は定点になり得ないのでは?構造も視点も、人が立つ土台さえも一つに定めることはできないのでは?という考え方を示してくれます。
作家が、イサク・ディネセンという男性的な名前を用いて作品を発表したところにも、この考えが反映されているように思えてなりません」