難解さの奥底にある“ほんとう”に触れる
『銀河鉄道の夜』は、主人公ジョバンニが親友のカムパネルラと二人で列車に乗って銀河を旅する物語である。そんな風に一文でまとめると、楽しく心躍る冒険の気配がするが、実際はそうではない。二人の旅はジョバンニが丘の上で見た夢で、ほどなくして彼はカムパネルラが級友のザネリを助けようと川に落ち、亡くなったことを知る。
二人の美しい旅がただの夢だとしたら、なんて悲しい物語だろうか。作中で彼らが会話するのは、列車の中のみだ。現実のカムパネルラはジョバンニがザネリにいじめられていても、気の毒そうにするだけ。二人が友であることの証明は、思い出の中にしかない。けれどもカムパネルラの結末を知った状態で物語を読むと、印象は変化する。
ジョバンニがその時点では知り得ないことを、カムパネルラが列車の中で語っているのだ。カムパネルラは確かにそこにいた。銀河の旅はただの夢ではなく、死者となったカムパネルラの最後の旅でもあった。
『新編 銀河鉄道の夜』は引っ越しのタイミングで手放しても、また読み返したくなって何度も買い直している。百年近く前の作品なのに、宮沢賢治の作品は平易な言葉で書かれていて親しみやすい。それでも必ず彼の作品には、どうしようもないことや、わからないことが残る。
私達が現実世界で他人について考えても百%理解できることがないように、彼の物語にも考え続けてもわからないことが書かれている。どうしてだろう、私はそれにものすごく安心する。美しく切ない物語に、現実のほんとうのことが託されているような気がするのだ。