映像が自在に立ち上がる小説表現の真骨頂
架空の島。そこでは絶えず記憶が消失していく。鳥、フェリー、香水など身近にあるものとその記憶が消失する。島の人々はその消失に抵抗することなく、ただただ消失を受け入れて生きている。
わたしはこの作品を何度も読み返してきた。シーンの一つひとつが美しい。何度読んでも飽きることがない。文字情報だけで世界を立ち上げる小説において、シーンが美しいなんて滅多にあることではない。次の展開が気になってページをめくる手が止まらないのとはまた違う、選ばれた言葉の美しさ、過不足のない表現がそれを可能にしているように思われる。
映画を例に挙げよう。何度も何度も繰り返してお気に入りの映画を観たとする。好きなシーンは嫌でも頭のどこかに焼き付く。細かい部分、例えば小道具一つひとつの作り込みや考え尽くされた照明の当て方は完璧には記憶出来なかったとしても、シーンは記憶に残る。けれど小説は文字を読み進めなければ、シーンは立ち上がらない。暗誦出来たとしたって、それはシーンが頭の中に立ち上がる訳ではない。
そして、何度も読み返した小説であろうと、思い出すことが出来るのは文章であってシーンではない。世界を映像として成立した形で見せてくれる映画が素晴らしいのは明白である。けれど、自分で組み立てることが出来るのが小説の美点であると信じている。
年齢を重ね、言葉の感じ方や受け取り方が変化すれば立ち上がる世界ごと変化する。作者が紡いだ言葉を追いながら、美しいシーンを何度だって立ち上げたいと思わされるのが、『密やかな結晶』なのだ。