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村上春樹作品と私:『新潮』編集長・矢野優が『羊をめぐる冒険』を再読

本を再読することは、新しい気づきを与え、人生の変化を感じさせてくれる素晴らしい体験だ。村上作品とともに歩んできた『新潮』編集長・矢野優さんが、大切な一冊を読み直して感じたこととは?

text: Rio Hirai

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何度読んでも自分自身と深く対話できるんです。

文芸界には“3作目のマジック”があると言われています。作家の真価が問われ、名作が生まれてきた。『羊をめぐる冒険』も、村上さんの3作目です。

初めて読んだのは浪人をしていた1984年の冬、場所は倉敷の市立図書館でした。それまでは数学と音楽に夢中で、文学体験がごっそりと抜け落ちていた。浪人中にその面白さに目覚め、空白の地図を埋めるようにあらゆる本をむさぼり読んでいました。

だから、この作品を読むと図書館の開館を待って床に座り込んで夢中になって読んでいたときのお尻の冷たさと、描かれている作品から受けた当時の鮮烈な印象を今でも思い出しますね。村上さんは過去にインタビューで、人の魂を2階建ての家に譬えて、本当に何か作りたければ(魂の)「地下2階」に降りるしかないが、その通路を見つけた人は多くない、と語っています。

これは私見ですが、明らかに前の2作と手触りが異なっていて、村上さんはその通路の存在に気づいたので?と思える作品なんです。過去の僕は失うものも何もなく、恋愛がなんたるかを知りもしなかったから、ストーリーの根底にある「時が過ぎゆくことの残酷さ」の実体を感じられなかった。それも今ではリアルに感じられます。

それに読むたびに新たな発見があって、例えば、作中で主人公が「君たちが六〇年代の後半に行った、あるいは行おうとした意識の拡大化は、それが個に根ざしていたが故に完全な失敗に終った」と言われる場面があるのですが、スティーヴ・ジョブズが信じてアップルで表現したビジョンはまさにその「意識の拡大化」であり、そのエコーは今も響いている。それも今回気づいたことでした。

再読は、「自分にとって、この作品とは何なのか」という物語との対話です。その対話を重ねるたびに発見をくれる作品が、後に“古典”と呼ばれていくのではないかと『羊をめぐる冒険』を読み返して感じました。

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