人はなぜ奇妙な生き物が出てくる本を読みたくなるのか?
「根底では、異質な他者との出会いを求める気持ちと拒絶する気持ち、警戒、恐怖と興味がない交ぜになって蠢いているのではないでしょうか。他者の向こう側に潜む未知の世界には妄想をかき立てられるし、そこには潜在意識の投影という屈折を経て出会う、まだ見ぬ自分自身がいるかもしれない。
同時に、日々生きている実感が摩耗していくような今の社会にあって、自分以外の生き物の存在を通して失われた実感を取り戻そうとしているのかもしれません」と、作家の酉島伝法さんは話す。
奇妙な生き物たちを愛し、異形に愛される作家が編む、
誌上アンソロジー。
奇妙な生き物のみならず、彼らが生きる奇妙な生態系を丸ごと生み出し、造語を駆使して、異形の未来史を構築した小説『皆勤の徒』で、現代SFの極北に抜けない旗を立てたその人は、「奇妙な生き物が登場する作品を成り立たせるのは、現実離れした奇想とディテールのリアリティ」とも言う。奇妙で愛おしい、奇妙だからこそ愛おしい。そんな生き物たちの奇想とリアルをたっぷりじっくり味わい尽くすための小説と漫画14冊をどうぞ。
『お父さんは心配なんだよ』
「オドラデク」を名乗る、
星形のミニ妖怪。
一見、平べったい星形の糸巻きのような姿で、体の中心から突き出た棒と星の頂点を軸にちょこまか動き回って、消えたと思えば長いこと帰ってこない。話しかけると返事をし、肺を使わない、枯れ葉が落ちるような笑い声をたてる。結局何なのか、何の象徴であるのかすらわからない。
たった2ページの掌編だが、かわいいようなひどく不安にさせられるような妖怪じみた宙吊りの存在感は本物!異形の生き物を多く生み出したカフカの名品を、多和田葉子による新訳で。
『うどん キツネつきの』
犬そっくりだけど犬じゃない、
声の大きな白いもの。
高山作品は奇妙な生き物の宝庫です。最近なら『文藝』で発表された『居た場所』のタッタ。イタチのようなこの生き物を常食する島民は体が小さいらしい。とある液体を使うとタッタがたくさん捕れるけど、その液体はタッタの内臓を黄緑に染め人の耳から液体を滴らせる。
なんなんだタッタ!『うどん キツネつきの』の表題作には犬によく似た白い生き物が登場するけど、作中で最も謎めいているはずのそれについてはほとんど何も説明されない。なんなんだうどん!
『からっぽの巣箱』
黒く光る2つの目と残忍そうな
口の持ち主の正体は。
空の巣箱から黒い目がこちらを見つめている。リスやイタチのようでもあるが残忍そうな雰囲気も漂う。妻は夫に話すが信じてもらえない。なぜかふと「赤ん坊のユーマだ」と気づくが、そんな生き物は辞書や事典にも載っていない。やがて猫がそれらしきものを狩ってくれたのに、猫がユーマとグルになっているように感じられる。そしてある日再び……という短編。ほかにカタツムリ短編も2編あり。実際に飼育していた著者らしいリアルな怖さが最高です。
『黒い玉 十四の不気味な物語』
まっくろくろすけは
ベルギーにもいた。
男が宿の部屋に入ると、ふわふわ毛玉が現れ椅子の下に潜り込む。黄楊に似た匂いを漂わせ、大きく育っていくそれをやっとの思いで踏み潰すが、男は黒く薄い膜にまとわりつかれてその中でだんだん小さくなっていき、ついには人影に怯えて椅子の下に潜り込む。誰もが持つ、目の端をよぎった何かの影の記憶を利用した導入から、シンプルな筋書きゆえの象徴性の高い怖さを実現している。作家の生まれたベルギーの幻想画家の系譜にも思いを馳せたくなります。
『妖物』
姿の見えない狂暴な妖は、
プレデターの祖先か?
男の死体を人々が囲んでいるところに、死の目撃者がやってくる。見えない妖物が襲ってきたという彼の証言は相手にされないが、死んだ男の日記には、幾度もの襲撃の場面が記されていた。1893年に発表された小説ですが、透明な何かが燕麦を押し分け近づいてくる量感のある描写は素晴らしいし、単に透明なだけでなく、人と重なった部分がぼやけることから非可視域のものだと推測するあたりはSF的で面白い。映画『プレデター』を先取りしています。
『オルラ』
遠い国からやってきた、
姿も名もない侵略生物。
水とミルクを盗み飲み、見えない手でバラを摘む透明な生き物につきまとわれ、支配されていく男の物語。実はこれ、同じ題名で2つのバージョンがあり、『フランス幻想小説傑作集』には侵略ものSFのはしりと読める短編が、この短編集には日記形式に改稿された中編が収録されている。語り手にしか見えない精神的な景色を描いたようにも読めるこちらの1887年版は、作者自身が精神障害の兆候に苦しむようになった時期に書かれている。それを念頭に読み比べても面白い。
『水蛇』
見目麗しくおとなしく、
食べれば幸せになれる蛇。
石黒達昌の小説は、奇妙な生き物について研究者の視点から解き明かそうとするその過程で、人間の内面の深みに嵌り込んでいくのが面白い。この短編は遭難した語り手が鍾乳洞で発見した水蛇の話。透き通るように青い体で、まぐわいもせず子を産み、その途端に死んで子に食われる。語り手はある夜誤って水蛇を飲んでしまい、それ以来「食料にもなり、睡眠薬がわりにも、酒のかわりにも」なるこの生物にとりつかれていく。独特の読み味に酩酊します。
『パパーロ』
物語における
マクガフィン的な存在なのか?
新種の投資商品だと説明され、家に運び込まれたパパーロ。じきに悪臭を放ち、収納場所から這い出してくるようになってきたあたりで、これはどうやら生き物らしいぞと読み手もわかってくる。家族の脚の内容物をちゅうちゅう吸い取ってストッキングのようにしてしまった次には、一人娘を妊娠させてしまう問題児。正体がわからないまま、その存在の在り方が時間とともに、読み返すごとに変容していく構造が見事。併録の『夢に生きる島』もおすすめです。
『冷たい肌』
森の妖精が蛇の皮を
被ったような佇まい。
スペイン・カタルーニャの文化人類学者が書く幻想長編。気象観測官として孤島に赴いた語り手が、海からやってくる水棲人に襲われる。人間にも似たその生物は、魚のような臭いをまとい、蛇のような感触の緑がかった皮膚に包まれた脚で二足歩行する。やがて、灯台に住んでいた男と水棲人との奇妙な3人暮らしが始まり、語り手の意識は少しずつ変容していく。ゾンビものにありそうな状況を、文学寄りにねっとり描いた怪作。馴染みのない愛の姿に胸が騒ぐ。
『ミセス・キャリバン』
海からやってきた、
緑色の肌をした優しき人。
映画『シェイプ・オブ・ウォーター』にも似た、異種との交流を描いた物語。海洋調査研究所の辛い生活から脱走した蛙男のラリーを、冷え切った夫婦関係に悩むドロシーが匿う。「これまで食べた野菜の中でこれが一番美味しいです」とアボカドを大絶賛するラリーが微笑ましい。ドロシーはアボカドを袋いっぱい買って夫に怪しまれたりしながらも、ラリーとの親交を深めて変わっていく。登場人物の心の動きや情景を描く筆致の細やかさも素晴らしい中編小説。
『子供の遊び』
得体の知れない生き物が
子供の姿を象っていく。
諸星大二郎の漫画には『不安の立像』『食事の時間』『カオカオ様が通る』など奇妙な存在の話が多く、これは入れ替わり系の一つ。子供が物置で何かを飼っていることに父親が気づき、中を覗いてみると得体の知れない生き物がいる。それは育って子供たちとままごと遊びをするようになり、父親は遠くへ捨てに行くが……。正体は最後までわからないが、人間とはすべてそういった得体の知れない存在ではないかと思わせられる傑作。風景を描く筆致も忘れがたい。
『スパー』
異星人と2人、なぜ、
何をしているのかわからない。
宇宙船が航行中に正体不明の船とぶつかり、相手側の救命艇の中で、粘液に覆われた不定形のエイリアンと1対1になって絡み合い、体中の穴という穴にインとアウトをされ続けるというとんでもないストーリー。抵抗したり、言葉を教えようとしたり、この行為はもしかすると性交ではなく何らかの意思疎通なのかもしれないなどと推測したりするが、インとアウトがただただ続くばかりだ。宇宙空間での恐ろしいまでの宙吊り状態を、詩的なリズムで描出するSF短編。
『さもなくば海は牡蠣でいっぱいに』
宇宙人は、身近にある
プロダクツに擬態する。
大量にあったはずの安全ピンは、いざ使おうとするときには全然見つからない。一方、ハンガーは気づくと妙に増えているし、壊したはずの自転車は再生している。そんな状況から登場人物が思い至ったのは、安全ピンはサナギでハンガーに孵化しているのではないか、自転車はトカゲの尾っぽみたいに再生しているのでは、という説。すべては何らかの生命体が擬態したものかもしれないのだ。かつては『あるいは牡蠣でいっぱいの海』という邦題で知られていた作品です。
『皆勤の徒』
異様な生態系の中と外に
広がっていく人類の未来。
発表当時は「ゼロ・リーダビリティ」とも「人類にはまだ早い系」(円城塔)ともいわれた酉島伝法の第1作品集。表題作は、「人間」と呼ばれる不定形の大きな宇宙人に、いつ終わるともしれない労働を課され働かされている「従業者」の物語。SF版『蟹工船』を意識したこの作品は、実は私小説でもあります。人ならざる者と造語の充満する作品世界の道案内には、電子書籍限定の設定資料集『隔世遺傳』を。上のイラストは、横暴な「社長」の仕事場の様子です。
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