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8冊の「東京物語」それぞれの土地の記憶

東京の街を舞台にしたノンフィクションを読む。スクラップ&ビルドを繰り返すこの街で、失われた商店街や建物があったこと、そのとき、その場所にいた、市井の人々の生きた証しが綴られている。ルポライター・橋本倫史さんが選んだ、8冊の「東京物語」。歴史の教科書には載っていない、それぞれの土地の記憶を紐解く。

Photo: Kengo Shimizu / Selection: Tomofumi Hashimoto / Text: BRUTUS

かつて新橋駅前には闇市が広がっていた。戦後まもなく自然発生的に生まれたそれは、1964年の東京オリンピックと並行して再開発が計画され、66年に新橋駅前ビルが、71年にニュー新橋ビルが竣工し、生まれ変わった。

それから半世紀近くが経過した今、再びこの場所で再開発が取り沙汰されている。フリーライター村岡俊也さんの『新橋パラダイス』はこの2つのビルで働いてきた人々の声を丁寧に拾うノンフィクションだ。

なぜ、この場所だったんですか。そう尋ねる著者に、多くの人が「新橋しか知らないから」と答えたという。「東京」ではなく、「新橋」。
土地の記憶は、「東京」という大きな括りの中にではなく、一つ一つの街や土地に宿る。

「私は東京っ子ではなく世田谷っ子だ」。
2020年に急逝した評論家の坪内祐三さんは、「遺作」となった『玉電松原物語』にそう綴っていた。坪内さんは1958年に渋谷区初台に生まれ、61年に世田谷区赤堤に引っ越した。そこには東急玉川線(通称「玉電」)が走っており、最寄り駅である玉電松原駅前には小さな商店街があったという。

「昭和が終わる頃までは、日本のさまざまな場所にそのような商店街がたくさん存在していた」が、「平成が終わろうとする今、それらの商店街は殆ど消えてしまった」。
風景が消えれば、記憶もやがて失われてゆく。記憶を記録として残しておかなければ、歴史が出鱈目に語られてしまう――そうした危機感の中で、この本を書き始めたのだろう。

今回、紹介する8冊のノンフィクションには、街中に貼られた風俗のチラシに感慨を覚えた人(『赤羽駅前ピンクチラシ』)や、第二次世界大戦中に酒を飲み歩く日々を送っていた活弁士(『夢声戦中日記』)、戦後日本の街の発展を支えた職人(『大森界隈職人往来』)や台湾人の留学生たちの存在(『台湾人の歌舞伎町』)、日本に豊かな食文化をもたらす遠い異国からの移民(『日本の異国』)、5年前の10月31日、渋谷の街ではしゃぐ若者たち(『TokyoHalloween』)の姿が記録されている。

見知らぬ誰かの記憶に触れた時、ふいに、自分自身の人生に立ち返るだろう。人も、建物も、文化も、移ろいやすい街の中で、私たちはなぜこの場所に立っているのか。誰かがいたことが、今の生活に繋がっているかもしれない。

東京の8冊

フィリピンパブで働く彼女たちの“TOKYO”

『日本の異国 在日外国人の知られざる日常』室橋裕和/著(足立区)

竹の塚にある「リトル・マニラ」を皮切りに、各地に点在する在日外国人街を探訪する。彼や彼女たちのコミュニティが形成された理由を調べると、そこには日本の政策や、各国の社会情勢が関与していた。晶文社/¥2,800。

昭和の匂いが残る、駅前名物ビルの暮らし

『新橋パラダイス』村岡俊也/著(港区)

飲食店やスナック、床屋と外国人風俗店などが同居する、新橋の駅前ビル。この場所で生活する人たちの物語からは、昭和の雑味と温もりがあった。現在、存続の危機に立たされているこの建物に蓄積された記憶はどうなるのか。
文藝春秋/¥1,600。

エロを蒐集した37年間の記録

『赤羽駅前ピンクチラシ』荻原通弘、木村英昭/編著(北区)

赤羽駅前に貼られていたピンクチラシを集め続けた著者による一冊。かつては街に溢れ返っていたピンクチラシも、それが姿を消した今、貴重な歴史的資料に。印刷された風俗嬢の写真や文字からは、各時代、男性たちが求めた性が浮かび上がる。
彩流社/¥2,000。

秋の乱痴気騒ぎも、5年経てば“日常”に

『Tokyo Halloween』宇佐巴史、山本佳代子ほか/著(渋谷区)

2015年のハロウィンの夜。仮装し渋谷に集まった人々を5人の写真家たちが撮影した写真集。ハロウィンの賑わいが、こんなにも早く過去の風景になってしまうなんて、この本が出版されたときには誰も想像しなかっただろう。
REC/品切れ。

東京の8冊

評論家が遺した言葉、「記録は忘却への抵抗」

『玉電松原物語』坪内祐三/著(世田谷区)

東京タワーと同じ、1958年生まれの著者が極私的な体験をもとに書き残した「遺作」。著者が綴る玉電松原駅界隈の風景は、世田谷がまだ畑や牧場のあるのどかな「田舎」だった時代の貴重な証言であり、極私的な昭和文化論でもある。
新潮社/¥1,700。

戦下の東京を大いに飲み歩いた活弁士

『夢声戦中日記』徳川夢声/著(杉並区)

活動弁士・徳川夢声が戦争中に綴った日記。満州事変以降、先行きの見えない日々にストレスを感じていた夢声が、太平洋戦争開戦の知らせに「体がきゅーっとなる感じを覚えた」という話は、決して遠い話ではなく、どこか今にも通じる。
中公文庫/¥1,300。

眠らない街に眠る、内地留学生の歴史とは

『台湾人の歌舞伎町――新宿、もうひとつの戦後史』稲葉佳子、青池憲司/著(新宿区)

歌舞伎町が興行街として栄えた舞台裏には、戦前に「内地留学」として来日し、終戦とともに焼け野原に立たされた台湾人の存在があった。彼らは、喫茶店や商店街など、今も街の中に根づいている。
紀伊國屋書店/¥1,800。

海辺の町から工業地帯へ、戦後日本を支えた男たち

『大森界隈職人往来』小関智弘/著(大田区)

18歳から町工場で旋盤工として働いてきた著者が、町工場で出会った職人たちの姿を活写する。鮮魚と浅草海苔が名産品だった海辺の町が、戦争とともに工業地帯に変わる過程を丹念にまとめる。日本ノンフィクション賞受賞作。
岩波現代文庫/品切れ。

東京の8冊