スタートは東京駅。駅から御幸通りを進むと、江戸城のあった皇居に行き着きます。東京は明治期に、天皇のいる帝都として整備されました。それがこの軸線で実感できるでしょう。
さらに進んで三の丸にあるのが〈桃華楽堂〉。香淳皇后のために造られた音楽堂ですが、皇室や皇族の施設自体が、東京ならではの建築といえます。モザイクタイルで図柄をあしらった八角体の外壁はユニーク。和洋を軽やかに統合させた建築です。
山手線を外回りで1駅進んだ有楽町駅の界隈は、三菱地所が中心となり戦後に開発したエリアです。味わい深いビルが並ぶ中でも秀逸なのは〈新有楽町ビル〉。建物内部には2層の吹き抜けがあり、アーケードが通るオープンな雰囲気。大企業が責任感と誇りを持って造った建築は、戦後ビルの最高峰といえます。
鉄道発祥の地として知られる新橋駅そばに、再開発で建てられたのは〈ニュー新橋ビル〉。ガラスや網目状の外装にして全体を覆う一方、中では回遊性を持たせながらテナントが雑居し、特有の猥雑さが残されました。夜は室内の光が外に漏れ、怪しさを増す表情も魅力的です。
浜松町駅は地下鉄の大門駅が隣接することからわかるように、増上寺のエリアでもあります。大門から延びる通りの先に、現在も威風堂々とした姿で立つのは〈増上寺三解脱門〉。
東京が江戸時代から日本の中心で、その骨格が生きていること、また権力のあるところに都市計画があることを実感できるでしょう。
さて、ここからは、江戸東京の中心から、かつての海っぺりを下っていくわけですが、田町駅では、5層分の吹き抜けを介してコンクリートのボリュームが立体的につながる〈駐日クウェート大使館〉を推します。
日本と西洋の区分にとどまらず中東まで広がりを持たせた建築は、丹下事務所の仕事の幅の広さも示しています。
山手線最新の高輪ゲートウェイ駅からは、坂を上った先にある〈高輪消防署二本榎出張所〉。コーナーに望楼があるアールデコ様式の建築は、海を望む灯台や客船を思わせます。昔の眺望に思いを馳せながら、建築を見るのも一興です。
品川駅前に立つ〈グランドプリンスホテル新高輪〉は、キャリアを積み重ねた村野藤吾の力量が発揮されている建築です。リゾートホテルのように一室ごとに設けられたバルコニーは巨大な印象を和らげ、海のそばにあることを意識させます。大きなイベントや会議を開催できるホールがあることも、東京ならでは。
大崎駅のエリアは、もともと利便性が良かった地を再開発し、イメージが激変したところです。中核となる〈ゲートシティ大崎〉は、半円形の大きな吹き抜けを持ち、豊かな空間をみんなのものにしています。
何が東京らしいって、「お金と人材をかけた開発」であること。ほかの都市では、なかなかこうはいきません。
山の手と新興地が生む
ダイナミックな建築。
五反田駅からロータリー越しに見えるのは、〈東京デザインセンター〉です。バブル期には外国人建築家が起用されて多くの名建築が残りましたが、それらの中でも出色の出来。大階段の軸を建物中央に通し、急斜面の上にある緑を見せています。
坂を挟んで武家屋敷と商売の街が隣接する東京の特性を引き出すとともに、地形をねじ伏せるかのようなイタリアンデザインの底知れないパワーを表す建築です。
お隣の目黒駅では〈東京都庭園美術館〉を推薦。華族や旧皇族の洋館はやはり、東京にしかない特産物です。ここは当時最高峰の設計・施工チームをもって、伝統的なゴシックやルネサンスではなく、アールデコを基調としていることが最大の特徴。1920〜30年代の優雅さを閉じ込めたような気品に満ちています。
気品といえば、恵比寿駅からは少し離れていますが、〈代官山ヒルサイドテラス〉はぜひ訪れたい建築群です。地元に根差した地主と槇文彦の長年にわたる協働により、知性と教養を裏づける品格と、消費されない余裕のある雰囲気が漂っています。
高度成長期にはカタカナの職業が活躍し、集まってきたのが渋谷駅界隈。さまざまな企てを持つ人が事業を起こし、自由な暮らしを楽しみました。そうした動きを捉えて引き出したのがSOHO向けの集合住宅〈ビラ・モデルナ〉。
ビラシリーズで、坂倉準三亡き後の坂倉建築研究所は再注目されることとなりました。
渋谷同様、若者の街という印象のある原宿は、駅東側は立て込んでいますが、西側には代々木公園など広々としたスペースがあります。戦前は練兵場。戦後に接収されて在日米軍施設が立ち並び、1964年のオリンピック時に返還。
丹下健三はここに〈国立代々木競技場〉を設計する時、その広々とした敷地とセットで見られることを強く意識したのでしょう。吊り構造を使い、説得力のある力強い造形を構想したのもそのためだと納得します。
代々木駅側から明治神宮の境内に入っていくと〈明治神宮宝物殿〉があります。大正時代に造られた明治神宮の内苑と外苑では、それぞれに博物館が建てられました。こちら内苑の宝物殿は、校倉造をコンクリートで造り、屋根を載せながら統一感を図った和洋折衷建築です。