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暗くてもネガティブでも読みたくなる、“実録私小説”の魅力。高石智一と花田菜々子が語る

近年“実録私小説”なるジャンルの本が次々と出版されている。家族との軋轢(あつれき)や鬱病など、テーマはどれも人には話しづらいこと。彼らはなぜあえて書くのか、なぜ私たちはそれに惹かれるのか。実録私小説を書いた花田菜々子さんと、ジャンルの象徴的な一冊『夫のちんぽが入らない』の書籍編集を担当する高石智一さんに聞いた。

初出:BRUTUS No.884「危険な読書」(2018年12月15日発売)

photo: Jun Nakagawa / text: Yuriko Kobayashi

暗くてもネガティブでも読みたくなる、“実録私小説”とは?

花田菜々子

こだまさんの『夫のちんぽが入らない』(以下『ちんぽ』)はタイトル通り夫のちんぽだけがなぜか入らない女性の苦悩を描いた作品ですが、このブームの火つけ役ですよね。

高石智一

こだまさんの小さな声が多くの人に届いてよかったです。でも「実録私小説」という言葉を初めて使ったのは花田さんの『出会い系サイトで人と実際に会ってその人に合いそうな本をすすめまくった1年間のこと』の帯か何かでしたよね?

花田

“エッセイ”だとちょっとライトすぎるし、登場人物の名前なんかをアレンジしているからノンフィクションでもないし。物語として一本の矢が通っているという点では私小説と言っていいのかなという感じで……。

高石

僕も『ちんぽ』の原稿を初めて読んだ時には「小説」だと思いました。花田さんの本もそうですけど、実話ならではのヒリヒリ感みたいなものが強烈なので、私小説に“実録”という強い言葉を足したのには納得でした。

花田

植本一子さんは『かなわない』で育児の葛藤や家族との軋轢を赤裸々に綴り、日記というジャンルの人気に火をつけましたが、『家族最後の日』は実録私小説に近いような気が。実母との対決とか自身の浮気とか、実話ならではのヒリヒリ感があるんですけど同時に物語性も高くて。自分語りではなく、すごく客観的に自分を見ている点では日記という枠を超えてます。

高石

植本さんは写真家ですよね。実録私小説がほかの私小説とは違う点に、プロじゃない“普通の人”が作者という点もあるんじゃないかな。

花田

高石さんが手がけた、爪切男さんの『死にたい夜にかぎって』の帯には“野良作家”とありましたね(笑)。

高石

こだまさんも爪切男さんも、文学フリマというイベントで同人誌を発表していた方なんです。

花田

同人誌、すごく増えましたね。

高石

僕のマリさんの『いかれた慕情』も文学フリマで見つけたんですが、大学時代の恋愛や下着屋時代に出会った障害のある客との交流などを書いたエッセイ集です。同人誌は「書きたい!」という熱意がむき出しで劇薬みたいなものが多いですが、中でも本作は読者に「食らわせてやる!」という魂が色濃い。喜びや悲しみ、感情がダイレクトに伝わってきます。

花田

そういう普通の人だからこそ書けるものに実話ならではの強烈なパワーがあるのかもしれませんね。

高石

著者の人柄が文章にそのまま出るから、こんな人が書いたんだとわかるし、自分と同一視して入り込みやすいのかも。だからこそ賛否の分かれ方が強烈で、『ちんぽ』も熱狂的なファンもいれば生理的に無理という人もいて。今の読者は本の中身より書き手の中身に興味を持っているような気がします。だから、「合わない本」を読んだだけなのに、「書いた人が嫌い」なんて批判するのはコワイ現象です。

花田

私の本は「内容は面白かったけど、こんな人とは友達になりたくない」っていうレビューがありました(笑)。

葛藤を超えて書き切る、実録私小説という闘い

高石

小林エリコさんの『この地獄を生きるのだ』もまた好き嫌いが分かれる作品でしょう。自殺未遂を繰り返し、生活保護を受けながら暮らすどん底の女性が生き直す自伝で、とにかく暗くて後ろ向き。念の塊みたいな本だからポジティブな人は理解できないかも。そういう意味では批判を招く可能性も大いにある本だけど、僕は後ろを向きながらも懸命に前に進もうとする彼女を応援したくなりました。

花田

読む人によって受け取り方が真逆になるというのも実録私小説の面白いところです。共感する人もいれば、念に呑み込まれちゃう人もいる(笑)。

高石

髙嶋政宏さんの『変態紳士』も賛否両論ありますね。SM好きとか独自の嗜好が包み隠さず書いてあって、人によっては彼の存在自体がセクハラだと思うかも。でも、あちこちに思考が飛ぶ内容は変態の頭の中に入り込んだみたいで面白いし、何より僕は「本音で生きることは変態になることだ」と学びました。好きなことを突き詰められずにいる人の背中を思い切り押してくれる本でもあります。

花田

実録私小説を読んで思うのは、これまで他人には言えなかったことが言える時代になってきたのかなということです。LGBTとか鬱病もそうですが、普通になれない“生きづらさ”を出してもいいのかなって多くの人が思い始めているのかもしれません。

高石

生きづらいことが普通になればいいなと思います。

花田

生きづらさをテーマにした作品は、鬱病を題材にした細川貂々(てんてん)さんの『ツレがうつになりまして。』とか、まずはコミックエッセイから流行りましたよね。そこの流れを汲んで今の実録私小説があるんじゃないかな。

高石

自身の生きづらさと向き合って書くというのは苦しい作業でしょうね。

花田

私も最初は辛かったです。でも面白いことに、ダサい自分を書いているうちに気持ちよくなってきて。土壇場で「やっぱり脱ぎたくない!」とか言ってた素人AV女優が、撮られてるうちにだんだん楽しくなってきて全部脱いじゃったみたいな感じで(笑)。

高石

書きたいけど書きたくない、でも最終的には書くという葛藤の中から実録私小説は生まれるんですかね。

花田

雨宮まみさんの『女子をこじらせて』や田房永子さんの『母がしんどい』は、まさに葛藤を乗り越えて書かれた本だと思います。お2人ともプライドを全部ゼロにしてでも訴えたいという気持ちがめちゃくちゃ強い。

高石

さらけ出し具合がものすごい。

花田

田房さんの『キレる私をやめたい』もすごくて、実際にはDVなんて受けていないのに、キレた田房さんが夫を困らせるために「暴力を振るわれている」という嘘の通報をしてしまうんです。でも電話を切った後に我に返って、「なんてことをしてしまったんだ」とめちゃくちゃ後悔するわけです。

しかもその話に入る直前のページに、小さく「書くの勇気いるな……」って言葉があって。それを見た時、本当に心打たれたんです。こういうふうに葛藤しながらもしっかり書き切ろうとする田房さん、すごいなって。

高石

闘いなんですよね、実録私小説を書くっていうのは。

花田

その格闘の軌跡みたいなものがにじんでいるから、そこに共感したり励まされたり、時には嫌悪感を覚えたりするんですね、きっと。

高石

そういうものを全部ひっくるめたところに実録私小説の力があって、だからハッピーな話じゃなくてもページをめくってしまうんじゃないかな。

左/書店員・花田菜々子、右/編集者・高石智一