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溝口力丸、小浜徹也、水上志郎。3人の編集者による、SF文学座談会〜前編〜

中国、イスラエル、フェミニズム、百合。2020年のSF界を取り巻くキーワードは多極化・多様化を続けている。拡張するSFの現在を知るべく、早川書房、東京創元社、竹書房というSFを出版してきた3社の編集者が一堂に会し、座談会を敢行。彼らは作家とともにどうSFを作り、どこへ向かおうとしているのか。

Text: Moteslim

溝口力丸

まずは、それぞれの出版社の自己紹介から始めましょうか。

早川書房は海外・国内作品ともにSFのスタンダードというイメージを持たれていて、2020年はハヤカワ文庫が創刊50周年を迎えました。

海外SFでは劉慈欣『三体』から始まった中国SFの流れがいまも続いていて、中国以外の作品としてはメアリ・ロビネット・コワル『宇宙へ』やサム・J・ミラー『黒魚都市』も2020年は注目されました。

他方で、国内は刊行作品が多様化しているものの、軸にあるのはハヤカワSFコンテストです。第8回を迎えた2020年の優秀賞は、竹田人造『人工知能で10億ゲットする完全犯罪マニュアル』と十三不塔『ヴィンダウス・エンジン』として刊行されています。

水上志郎

竹書房のSF担当は自分1人なので、僕の好みが強く出ています。当初は海外のクラシックな作品を刊行していましたが、2020年から日下三蔵さんの編集によって草上仁『キスギショウジ氏の生活と意見』や横田順彌『幻綺行』など国内の埋もれていた作品を刊行し始めています。

小浜徹也

東京創元社は1963年から文庫でSFを出していて、もうすぐ60年です。最新の翻訳でもスタンダード性を重んじています。

2020年の本でもケイト・マスカレナス『時間旅行者のキャンディボックス』はタイムトラベル・ミステリでアレン・スティール『キャプテン・フューチャー最初の事件』はスペースオペラ。

1970年代にたくさん翻訳された宇宙冒険ものに始まって『宇宙戦艦ヤマト』や『機動戦士ガンダム』へとファンを増やしていったようなSFは数が減っているけれど、伝統的な面白さは大事にしたい。
東京創元社は早川よりも“保守”だと思うし、この中だと竹書房が一番“革新”だよね。

水上

早川さんと創元さんがやらないような作品の版権をとっていますからね。だからクラシックな海外作品を出すと言いつつ王道ではなくて、チャールズ・L・ハーネスなどを出したり。
竹書房の場合はSF作品を刊行してきた歴史がないので、自由に作品を選べるのが強みだといえるし、同時にそれは弱みでもある。

小浜

ミステリも同じですが、SFっていままでのジャンルの上に成り立つものなので、会社の歴史とつながってるんですよね。

例えばうちはエドガー・ライス・バローズの『火星シリーズ』やE・E・スミス『レンズマン』を出してきた会社であって、その延長線上で僕も仕事をしてきました。だから作品を刊行していくうえで自分の好みを意識することはあまりないです。

溝口

それは早川も同じですね。『SFマガジン』初代編集長の福島正実さんが徹底的に文学としてSFを紹介したのに対し、次の編集長である森優さんはエンタメとしてのSFを確立していった。2つの極を背負っている感じがします。

特に早川は福島正実『未踏の時代』など過去に活躍した方々のテキストが読めるので彼らの作った路線の上にいる意識は強いですね。そのうえで、私は『SFマガジン』で百合特集を組むなど、SFを外へと広げていく取り組みも進めています。

もっとも、自分の意図だけではなく読み手からの反響がないと作り続けられませんし、百合とSFを組み合わせて売り出すということは、双方のジャンルの歴史と、読者からの期待を背負うことになります。編集者としては緊張感とやりがいがありますね。

多極化する海外SF

小浜

海外SFを見てみると、2019年から引き続き中国SFブームが起きていますが、まったく新しい潮流というよりはジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』のような位置を占めるであろう作品として『三体』はあるのだと思っています。ケレン味のある昔ながらのSFというか。

日本で高度経済成長期にSFが盛り上がったように、中国では今世紀に入ってSFが盛り上がっている。

溝口

著者の劉慈欣は小松左京を読んで育ったと言っていますよね。早川からも最近は『三体Ⅱ 黒暗森林』や陳楸帆『荒潮』が刊行されています。

水上

『三体』は話題になりましたが、一方で創元さんが2020年に出したN・K・ジェミシン『第五の季節』は受賞歴もすごいし世界的にも評価されているのに、日本では『三体』ほど話題にはなっていない。

あの作品はアメリカの人々にものすごく刺さるし最先端の作家でもあるけれど、文化の違いが大きいのかもしれません。

小浜

SFに限ったことではないけど、文化的には分断が起きて局地化しているのかなと。

水上

日本の人々からすると、中国や韓国のSFならそこまで構えずに読めるけど、アメリカのいまのSFを読むにはさまざまな前提知識が求められる気がします。
しかもSFは設定や世界観が複雑だからさらに負荷がかかる。『82年生まれ、キム・ジヨン』を読むように『第五の季節』は読めないというか。

うちから出したイアン・ワトスンの『オルガスマシン』は現代ではフェミニズムの文脈から捉えられるかもしれない。時代が変わると作品の見え方も変わってくるのは面白いですね。