第二十四回「衝撃」
営業の仕事を始めてからJさんは料理の楽しさに目覚めた。自分が食べたいと思ったものを自分のために作ることは、単にお腹を満たすだけでなく良い気分転換にもなった。
繁忙期真っ只中のある夜だった。疲労困憊(こんぱい)で一人暮らしのマンションに帰り着いたJさんは、夕食を作るべく気合を入れ直してキッチンに立った。普段であれば黙々と料理をすることで癒やしを得られたが、この日はどうもイライラが収まらない。
上司にかけられた理不尽な言葉が脳内に何度も蘇ってきて、食材の下ごしらえをしながらも内なる怒りが限界に達しそうになった。
手に、出刃包丁を握っていた。Jさんは衝動的にそれを振りかぶって思い切りまな板に振り下ろした。ドン。耳が痛くなるような音がして、包丁の先がまな板に刺さった。静かにそれを眺めていると、不思議と気持ちが落ち着いていった。出来上がった料理はいつも通りの味だった。
それから時々部屋で大きな音が鳴るようになった。ドン。体が飛び上がるような衝撃音が、誰もいないキッチンからする。それはあの晩、怒りの衝動に任せて包丁を振り下ろした時の音だった。切り取られた「怒り」は、今でも時々その部屋で再生されている。