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イタリア滞在10年超えで帰国したシェフたち、その味。錦糸町〈サン・ヤコピーノ〉、広尾〈ラ・トラットリアッチャ〉

イタリアに10年以上滞在して研鑽を積み、帰国したシェフ。一口に10年超えと言っても、彼の地でも進化を続ける現代的な料理から、失われつつある伝統料理まで、表現は様々。彼らの皿から溢れるのは、技術、そして現地の生活で身についたイタリアの精神。

photo: Satoshi Nagare / text: Naoko Ikawa

レシピじゃない、限りなく
ネイティブに近い感覚を。

2015年、錦糸町の桜並木を見下ろす場所に〈サン・ヤコピーノ〉を構えた元吉賢一さんは、2001年から14年修業した。当初は1軒で四季を見て、3軒で3年あれば十分だと考えていたのに。

「でも2年目、言葉がわかるようになると、それまでの理解の半分は想像にすぎなかったと気づいて」
自分が、いかに知らなかったか。わかってしまうと怖くなるし、同時にどんどん深掘りしたくもなる。

彼の修業はユニークだ。籍を置いたのはフィレンツェ、フェラガモ経営のリストランテ〈ボルゴ・サン・ヤコポ〉。給料や休日が充実したこの店に10年勤め、エレガントな料理を作りながら、休日には田舎町の食堂や家庭の料理を食べ歩いたのである。

錦糸町〈San Jacopino〉シェフ・元吉賢一
元吉賢一さんは2001年に渡伊。フィレンツェ〈ボルゴ・サン・ヤコポ〉で10年スーシェフを務め、マルケ州、エミリア=ロマーニャ州などでも働き計14年。2015年に独立。

店の清掃員、友人のお母さん、昼間しか開けない食堂のおじいさん。料理人じゃない人からも教わりながら、北から南まで。そういう料理が、やがて教えてくれた。

「正解はない、ということです」
例えば、カルボナーラにはグアンチャーレ、と決まってるわけじゃない。マルケ州のとあるマンマはサルシッチャ。家庭料理は家にあるもので作るから。

でも、だからといって何でもありというわけでもない、その線引きを見極める。背景を深掘りした14年があるからできる、型破りである。

San Jacopino(錦糸町)
元吉賢一

2018年は、ついに16年選手の店が開店した。広尾〈ラ・トラットリアッチャ〉の河合鉄兵さん。13年半をフィレンツェとシエナで働いた、“ほぼトスカーナ人”だ。

「トスカーナは塩の入らないパンが必ず料理とセット。組み合わせて初めて味が完成します」

そのパンを毎朝店で焼き上げるのだが、現地と同じレシピでは現地の味にならない。全粒粉で香りを加え、皮をしっかり焼いて、彼は「あの味」へと落とし込む。

パンを大事にする人々は、残ったパンを野菜とスープ仕立てにしてリボッリータに、トマトと煮てパッパ・アル・ポモドーロに、野菜やビネガーと和えてパンツァネッラにと使い切った。それがトスカーナの伝統料理。どれもシンプルで、だからこそ、わかったつもりでは見透かされてしまう。

余計は要らない。リボッリータはだしでなく水で炊き、旨味は野菜と生ハムの切れ端だけでいい。ポルケッタに使うハーブもいろいろ混ぜず2種で完璧。ただし〝ティエピド〟と言われる人肌の温かさで食べさせることが肝心である。

広尾〈La Trattoriaccia〉シェフ・河合鉄兵
河合鉄兵さんは、2001年にイタリアへ。〈ダ・エンツォ〉を経て、シェフも務めた〈タルガ〉〈パーネ・エ・ヴィーノ〉など、シエナとフィレンツェで13年半。帰国を前にエミリア=ロマーニャ州の1ツ星〈カ・マティルデ〉で2年半修業。16年に帰国、18年に広尾で店を構えた。

「果物でも冷蔵庫から出したての温度では食べない国ですからね」
余計とは何を指すのか。手を届かせるべきかゆいところはどこなのか。それはレシピに書けないこと。

16年、赤ん坊が高校生になる歳月で得たかったのは、限りなくネイティブに近い感覚だ。「あーこれこれ!」とイタリア人すらほっとさせる味が日本にある。まったく、すごい時代になったものだ。

La Trattoriaccia(広尾)
河合鉄兵

あーこれこれ!とイタリア人を
ほっとさせるネイティブな味。