レシピじゃない、限りなく
ネイティブに近い感覚を。
2015年、錦糸町の桜並木を見下ろす場所に〈サン・ヤコピーノ〉を構えた元吉賢一さんは、2001年から14年修業した。当初は1軒で四季を見て、3軒で3年あれば十分だと考えていたのに。
「でも2年目、言葉がわかるようになると、それまでの理解の半分は想像にすぎなかったと気づいて」
自分が、いかに知らなかったか。わかってしまうと怖くなるし、同時にどんどん深掘りしたくもなる。
彼の修業はユニークだ。籍を置いたのはフィレンツェ、フェラガモ経営のリストランテ〈ボルゴ・サン・ヤコポ〉。給料や休日が充実したこの店に10年勤め、エレガントな料理を作りながら、休日には田舎町の食堂や家庭の料理を食べ歩いたのである。
店の清掃員、友人のお母さん、昼間しか開けない食堂のおじいさん。料理人じゃない人からも教わりながら、北から南まで。そういう料理が、やがて教えてくれた。
「正解はない、ということです」
例えば、カルボナーラにはグアンチャーレ、と決まってるわけじゃない。マルケ州のとあるマンマはサルシッチャ。家庭料理は家にあるもので作るから。
でも、だからといって何でもありというわけでもない、その線引きを見極める。背景を深掘りした14年があるからできる、型破りである。
San Jacopino(錦糸町)
元吉賢一
2018年は、ついに16年選手の店が開店した。広尾〈ラ・トラットリアッチャ〉の河合鉄兵さん。13年半をフィレンツェとシエナで働いた、“ほぼトスカーナ人”だ。
「トスカーナは塩の入らないパンが必ず料理とセット。組み合わせて初めて味が完成します」
そのパンを毎朝店で焼き上げるのだが、現地と同じレシピでは現地の味にならない。全粒粉で香りを加え、皮をしっかり焼いて、彼は「あの味」へと落とし込む。
パンを大事にする人々は、残ったパンを野菜とスープ仕立てにしてリボッリータに、トマトと煮てパッパ・アル・ポモドーロに、野菜やビネガーと和えてパンツァネッラにと使い切った。それがトスカーナの伝統料理。どれもシンプルで、だからこそ、わかったつもりでは見透かされてしまう。
余計は要らない。リボッリータはだしでなく水で炊き、旨味は野菜と生ハムの切れ端だけでいい。ポルケッタに使うハーブもいろいろ混ぜず2種で完璧。ただし〝ティエピド〟と言われる人肌の温かさで食べさせることが肝心である。
「果物でも冷蔵庫から出したての温度では食べない国ですからね」
余計とは何を指すのか。手を届かせるべきかゆいところはどこなのか。それはレシピに書けないこと。
16年、赤ん坊が高校生になる歳月で得たかったのは、限りなくネイティブに近い感覚だ。「あーこれこれ!」とイタリア人すらほっとさせる味が日本にある。まったく、すごい時代になったものだ。
La Trattoriaccia(広尾)
河合鉄兵
あーこれこれ!とイタリア人を
ほっとさせるネイティブな味。