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丹波篠山の木造民家で「自分たちらしい」暮らしをつくる

朝目覚め、ベッドで日の光に包まれる。手間をかけてランチを作り、丁寧に淹れたコーヒーで小休止。家にいる時間は最高の贅沢だ。リビング、キッチン、ベッドルーム、レコードや本、家具と道具、住む場所と機能。いつもより長く家にいられるのだから、家について、ライフスタイルについて考えてみる。

Photo: Keisuke Fukamizu / Text: Tami Okano

大切なのはスタイルではなく、感情や体験の集積に根を下ろすこと。

誰と、どこで、何をして生きていくのか。アーキペラゴの小菅庸喜さんは27歳のときに、それを、とことん考えた。妻の絵里奈さんと結婚して一番大切な「誰と」は決まり、さて次は「どこ」で「何を」。
当時2人は大阪在住。セレクトショップでブランドプランナーとバイイングの仕事をしていた。それも充実していたが、もっと自分たちらしい場所はどこか。いざ始まった「場所探し」は長かった。

キッチン ダイニング
戦後すぐに建てられたと思われる木造の民家で、キッチンとダイニングは、土間とほぼ同じグラウンドレベルで整えた。ダイニングのシェイカーテーブルの上の猫は、京都からやってきた保護猫で2歳。
板張りのリビング。3種類の幅のナラ材をランダムに組み合わせた。ソファを置かない代わりに選んだのはコーア・クリントのサファリチェア。正面の窓を開けると、庭に設けたデッキ(月見台)に出られる。
和室
ダイニングから土間を通して玄関を見る。和室側の建具は既存のものを活用し、ダイニングとの境には新しく鉄製の大きな引き戸を付けた。改修設計はインテリアデザイナーの高橋真之と建築家の堤庸策。

望むイメージは、落葉広葉樹林があって、山が明るく、その土地の風土丸ごと好きになれるような場所。日本地図を広げて、信州かな、九州かな、と休みのたびに目星をつけて見て回り、探し始めてから5年後の2015年に、ここ丹波篠山(たんばささやま)に移住した。

「じゃあ篠山で何をして生きていくか、ってことになるのですが、僕らができるのは、やっぱり店だろう、と。地方でセレクトショップがやりたくて来たんですよね、ってよく言われるけど、順番は逆で、まず住む場所を決め、店の場所もやり方も決めていきました」

家は、1940年代後半に建てられたと思われる木造の民家で、知人の内装デザイナーと建築家の協力を得て、リノベーションをした。

元農家にしては小ぶりな瓦屋根の母屋に、洋風の応接室がくっついている可愛らしい建物で、空家になっていたこの家を初めて訪れたとき、土間の玄関から真っすぐに庭が見えること、ダイニングから田んぼや里山が見通せること、その2つの「軸線の明確さと抜けの良さ」が気に入ったという。

トイレ
写真右手、庭石をステップにして上がる黒いドアが洋風の応接室へ続く。角を丸くとった正面のボックスはトイレ。障子越しの光が柔らかく反射する白い壁は、地元の土を混ぜた篠山独特の灰中塗りで仕上げている。
小菅/上林家 外観
木造2階建ての日本家屋に小さな洋館が付け足されている外観。地元不動産会社のサイトでこの家に巡り合う。丹波篠山市は京都からも大阪からも車で1時間圏内で、かつては交通の要所。独自の文化が色濃く残る。
寝室
2階の寝室。4畳半の和室が2間あったスペースを一部屋にし、ウォーキングクローゼットも備えた。南と東向きの2面採光に加え、吹き抜けを見通す小さなガラス窓も付けるなど、寝室は明るくプレーンな空間に。

リノベーションは家族が暮らすのに必要な部分のみを集中して行い、縁側や和室、応接室などはほとんど手を入れずそのまま残した。理由は予算との兼ね合いだ。

「和洋折衷の古民家再生、みたいな“スタイル”を目指したわけじゃないんです。何かに倣ったり装ったり、型に当てはめて眺めるようなスタイルを追いかけるのは意味がない。それは、尊敬していた〈スターネット〉の馬場浩史さんから学んだことでもあります。簡単なことではないけれど、でも、僕たちは僕たちなりに、選んだ場所に向き合い、感情とか日々の体験とか、もっと人間味のある喜びに根を下ろして暮らしの場をつくっていきたいと思っています」

書斎
正方形の木片を集めたパーケットフローリングや縦板張りの壁など、洋風の内装をそのまま残した元応接室。現在は、小菅さんの書斎。椅子は、交流のあった栃木県益子(ましこ)の馬場浩史さんが作ったものを受け継いだ。