10年の間にやってきた本と棚たち
「膨大な書類仕事を終えて、ちょうど片づいたところです(笑)。整っているように見えるかもしれませんが、本当はもっと本を減らしたい。積み上げたりせず、きちんと収まっているのが理想の本棚の状態。研究や執筆をしていると、なかなか難しいんですけどね」
月に30冊ほど本を購入することもあり、蔵書は日々増加中。それに合わせて棚も増設してきた。山内さんがこの研究室にやってきたのは2014年頃。当初は本棚はなかった。
「研究室はほとんど空っぽの状態で引き継ぎました。灰色のスチール棚は置きたくなかったので、木製で統一しています。といっても最初の棚は買ってきたものではなく、譲り受けたものです。横幅にぴったり収まるサイズだったのはラッキーでした」
その後も払い下げ品や学内の粗大ゴミ置き場で拾ったという代物を配置し、棚を拡充。本だけでなく、海で拾ってきた貝殻や、小さな枝が収まる鉢、ペーパーウェイト代わりの石など、自然物も飾っている。


西洋美術から日本の庭へ。棚を作ってきた読書遍歴
棚には、全35巻に及ぶ『日本庭園史大系』や建築にまつわる書籍、ヘーゲル、カント、柳田國男らの全集や辞書・事典が分類ごとにざっくりと並ぶ。その合間に批評から西洋美術、映画本に文学と、幅広いジャンルの本なども無造作に差されている。この研究室のほかに、自宅には3倍ほどの蔵書があるというから驚きだ。

東福寺方丈庭園などを手がけた作庭家で、日本庭園史の研究家・重森三玲らによる庭の図鑑。「設計図がない庭の平面図を作り、古文書を読み解いて解説も付した、最重要資料の一つ」。社会思想社/絶版。
「本は通勤電車の中で読むことが多いんです。40分程度のまとまった時間が取れるタイミングなので。ほかには自宅で夜にお酒を飲みながら小説を読んだり、冬の寒い時期には風呂に本を持ち込んだり。研究室に来るのは講義がある週2、3回程度ということもあり、自宅でも仕事をするので、本が研究室と家を行き来することも多々あります。
研究室にはスペースをとる大判の資料をはじめ、執筆に深く関わる本が多いですね。常々整理をしたいと思いつつも、ついに10年ほど経ってしまいました。でも、なにがどこに置いてあるかは大体把握しています。本棚は記憶の外部装置。頭の中のネットワークで繋がっているんです」
その読書遍歴を紐解くと、庭師という一風変わった経歴へと至る理由も明らかになった。
「大学生の頃は美術専攻で制作に取り組みつつ、哲学に興味を持って批評家の浅田彰さんのゼミに潜ったりしていました。そんな時に始めたのが庭師のアルバイト。その時の師匠は普段から着物に雪駄姿で、茶道や華道に通じ、落語や舞を楽しむ人でした。それまでは美術といえば西洋美術。日本文化にほとんど親しみがなかったので、ある意味カルチャーショックを受けました。
この頃に出会ったのが『若き古代 日本文化再発見試論』。国立劇場で日本古来の文化を現代に蘇らせた演出家の木戸敏郎さんの、龍安寺の石庭や鎌倉の瑞泉寺の庭を取り上げつつ、舞台・工芸へと横断する批評の在り方は衝撃的でした。10年以上繰り返し読んで、今では付箋だらけになっています」

大学卒業後に庭師として独立。その傍ら大学院に進学し、フランスの哲学や美学を研究するように。後に著書を翻訳することになるフランスの庭師ジル・クレマンの存在を知るのもこの頃。院を修了後、庭師として手がけてきた仕事を知人に譲り、ここで研究に集中するようになる。
「ここに来てからはやはり研究に関連する本を読むことが多いですね。『かたちは思考する 芸術制作の分析』や『セヴェラルネス + 事物連鎖と都市・建築・人間』の記述から伝わってくる、目の前にあるものを徹底的に記述し、分析する姿勢は自身の研究スタンスの参考になっています。また、『日本庭園史大系 27 現代の庭(一)』や『細雪』は、最近文章にまとめた平安神宮についての記述があるので改めて読み直しました」
最近、興味があるのは現代の小説だという。
「ちょうど今庭師時代の経験についてエッセイを書いているのですが、本当にあった体験も、文章にするとフィクションの要素が入り込んでくる。そもそも直接的な経験の底にもフィクションがあるというか。それで、改めて小説って何だろうと、エッセイとの違いを考えようと、町屋良平さんの作品などを読んでいます」
知を深めるための読書から、書くことで表現するための読書へ。研究者ならではの本との付き合い方の変遷がここには残っている。



