吉野から熊野へ、
非日常へ達する修験の道を歩く。
「熊野」と聞けば「古道」と、もはや係り結びの法則のように人口に膾炙するようになった「紀伊山地の霊場と参詣道」。
2004年の世界遺産登録以後、観光客が押し寄せて一大ブームの様相を呈し、多くの人々が1000年を超す歴史を持つこの国の重要な巡礼道を「再発見」したという事の成り行きは、一方で多くの現代日本人にとって、神仏を敬う宗教的本義よりもユネスコの威光の方が大きかったという事実を反語的に証明している。
「葬式仏教」という言葉で自嘲気味に語られるほどに、今や多くの日本人の日常生活と信仰は遠く離れ、宗教的儀礼や祭祀の類も当然変化を余儀なくされている。
しかし、「聖地を巡礼する」という行為が持っていた本来の意味までもが、現代において全く失われてしまったのだろうか?
今、古道を歩くことの意義とは何か。その答えを探すことができる、おそらく日本でもわずかな場所の一つである地、奈良・吉野への旅は、日々の営みの中に埋もれた心の動きを再発見するマインドトリップでもある。
熊野三山(熊野本宮大社、熊野速玉大社、熊野那智大社)と近畿の各地を結ぶネットワークである6本の古道の中でも、奈良・吉野山から大峰山脈を縦走して熊野三山へと至る「大峯奥駈道」は、元来、修験道の修行のために開かれた山道であり、最も険しい巡礼道である。
約1300年前に、圧倒的な霊力を持った呪術者・役行者(役小角)が開いたとされる修験道は、神仏の宿る山岳を歩いて心身を鍛え、超自然的な力を授からんとする行者(=山伏)の宗教。
日本古来の山岳信仰と密教や道教、神道、シャーマニズムが混淆した、日本独特の「山の宗教」であり、東西に走る紀伊山地の深い森林に抱かれた吉野・熊野地域は、自然崇拝をベースにした修験道における重要な聖地とされている。
「山岳修行の意義は、“擬死再生”にあります」
桜の名勝として知られる吉野山中に鎮座する修験道の根本道場、金峯山寺宗務総長・田中利典氏はそう語る。
現在も多くの信徒たちが日々修行に勤しむこの寺では、毎年一般参加者を募り、大峯奥駈道の一部を歩く修行体験も行っている。夜更け、白装束に錫杖の行者姿で寺を静かに出発し、原始林の残る暗闇の峻険な山中を、わずかな水と食事のみで進む過酷な行程は、登拝者を忘我の境地へと覚醒させるという。
「日本人は古来、ハレとケの観念を持ち、さまざまなかたちで日常と非日常を行き来してきました。普段の社会では自我、自分の理屈が優先されますが、ここでは自分の力を遥かに超えた大自然の聖なる力に触れることで、自身に取り憑いたケガレを取り払い、リセットすることができる。その過程こそが“擬死再生”と呼ばれるものなのです」
この大峯修行の重要な巡礼地である山上ヶ岳は、現代においてなお「女人禁制」の伝統が厳しく守られている。
明治維新後、神仏分離令に続き発布された修験道廃止令により修験道は衰退したとされるが、「山岳信仰」も「山伏」も、この地においては本義を殺がれた過去の文化遺産などではありえず、いささかも減じることのないリアリティを強く保っている。
修験者たちが行き交ってきた長い歴史は、吉野の人々の生活とも大きな関わりを持っている。山上ヶ岳の登山口にあたる天川村・洞川温泉郷は、古くから行者たちが訪れて賑わった山里で、現在も20軒ほどの旅館、民宿が建ち並ぶ。集団で行動する行者たちが出入りしやすいよう、多くの宿は通りに面した大きな縁側を持っており、現在も行者や観光客が利用している。
「登拝はこれで82回目」と胸を張る、ある行者の男性は、普段は大阪で会社を経営しているとのことであった。
彼らもまた、魂の再生を求めて日常の世界から非日常へと達し、また俗世へと還っていく心の旅人である。こういった人々を吉野の地は1000年以上にわたり受け入れ続けているのだ。
役行者がこの大峯山に道場を開くべく訪れ、最初に修行を行ったとされる場所が、現在の天川村・天河大辨財天社。厳島、竹生島と並ぶ日本三大弁財天の一つとも称され、現在では芸能の神としても知られる。
明治の廃仏毀釈後にいったんは凋落するが、1970年代以後のヒッピー/ニューエイジ・カルチャーの中で隠れたエネルギースポットとして注目を浴び、今も世界中から参拝に訪れる客が絶えないという数奇な経歴を持つこの神社で、拝殿から本殿へと至る階段に座って禰宜が唱える祝詞には、般若心経も含まれる。
吉野や熊野の地に残る神仏習合の宗教、その寛容性が国境を越えて人々を惹きつけるのだろうか。
大峯奥駈道を南下し、熊野本宮へと至るルートのクライマックスは、奥吉野と呼ばれる十津川村の霊山・玉置山の頂付近に鎮座する玉置神社へのアプローチ。境内に樹齢3000年とされる神代杉を祀る日本最古の神社の一つであり、熊野三山の奥の院として格別の由緒を持つ、極めて重要な聖地へ足を踏み入れる。
山頂からしばし古道を降りると、突如として周囲の植生が杉の巨木群へと変化する場所へ至る。
周囲に漂う狭霧の、肌にまとわりつくような独特の冷気に気づく頃、「玉石社」が目前に現れる。根元に白い玉砂利が敷かれた3本の大木に囲まれ、わずかに顔を出す御神体の丸石。
かつて役行者や空海が拝して如意宝珠を埋めたといわれるこの社地には、簡素な柵が巡らされているのみで、社殿はない。
この素朴で清潔な空間。そこには既成宗教が成立する以前の、原始信仰の形態が露になっている。自然を畏怖し、山を崇拝した古代の人々にとって、この地が神と交流するための特別な場所であったことは想像に難くない。
人里離れた険しい山中を彷徨い、日常の生活圏を逸脱して神々の降り立つ非日常の空間へとダイブする精神の儀式。
神も仏も、さまざまな信仰のかたちを大らかに受け入れてきた吉野・熊野の聖地は、宗教から遠ざかったかに見える現代日本人の魂をも等しく再生させてくれるだろう。その「道」は、常に開かれて眼前にある。