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料理家・長尾智子のあんこ考

あんこを愛してやまない料理家の長尾智子さん。長尾さんがずっと追い求めてきた極私的なおいしさをこっそりおすそわけ。

Photo: Masaki Ogawa / Text: Tomoko Nagao

あんこ考

また小豆を煮ている。

和菓子を作ろうとしているのではなく、ただ、小豆を煮ておこうと思って。使う鍋はフランスの銅鍋。

ジャム用の、口が広く熱伝導のすこぶる良いもの。ある日は土鍋。長年愛用している頼りになるもの。時に思い立ってアルミ製の行平で、重い鉄鍋で、出番の多い厚手のステンレス製で、と思い立つもので試す。どの鍋でも小豆は煮ることができる。重要なのは道具ではないのかもしれない。

とすれば何?手順なのか。ところがレシピに秘密はない。

レシピは道標だから、秘密を持ったら道に迷うだけだし、全てを明かしているようで言い切れないもの。作る「現場」は人それぞれ違うからだ。多分、道具でも文字や写真や画像でもない、もっと個人的なもの。

どんなあんこになるかの秘密は、作る人と小豆の間にしか生まれない。おいしくな~れは常套文句としてあってもいいが、それとも少し違う。

小豆と自分の、対等に渡り合いせめぎ合い、様子を見つつご機嫌を伺い、そして共に目的地を目指すような作業は、どんなあんこにするかの、一つのプロジェクトのようなもの。

その年、その月、その日その時どんな小豆なのか、どんな自分なのかによって仕上がりが違うとなると、どうしても作り手にしかわからないこととなる。

小豆を知り尽くしてわかり合っているのが和菓子職人で、彼らと小豆との間にある秘密は、どんなに誘導尋問しようとわからない。レシピに起こすどころか言葉にならない領域のことだからだ。

何のことはない、ただ煮るだけさと平気なふりをする、熟練した職人の心のポケットは、小豆への敬愛でいっぱいなのだ、きっと。それは業種を問わず職人全般に言えることだろう。

ずっと前にある職人と話していた時、この人(和菓子職人)何か秘密を持っていると感づいた。その日から、あんこ探偵になって探ってきたけれど、未だ秘密はわからない。

それでも何度となく小豆を煮るうちに、観察と時間と、余裕のある無しで変わるということだけには気づき、その日の小豆をよりよく見るようになった。

小豆の魅力は何か?あんこにすると丸めればお菓子になるところ。晒してこして雑味を除いていくと、驚くほど洗練されるところ。とりあえずは、出来立ての艶々の粒々がそこにいてくれるだけで満足だ。身近なところで享受できる私たちは何と幸せ者か。

と思えば、自前のあんこの味わいは、より格別になる。無意識に食べていたあんこ菓子の良し悪しも洗練も、いろいろなことが見えてくる。何より、小豆の素晴らしさを深く知ることになるはず。

料理家・長尾智子レシピ『小豆のワイン煮』
くしゅっとした皮の歯応えが残る小豆と薄甘い煮汁とを、一緒にすくっていただくおいしさといったら。不揃いのつぶの食感も、小豆の中身である「呉」が沈殿したところを味わう一匙も、自分で作ったあんこならではのご褒美だ。写真は、「基本のあんこ作り」の途中で白ワインを加えて煮含めた、名づけて「小豆のワイン煮」。ほのかに広がるワインの香りと酸味によって、あんこの新しい味が引き出される。

日々煮続けるあんこは、いつしか、途中で割れたり皮が剥がれたりしても大まかに外すくらいで(もちろん食べる)粒揃いかどうかをあまり気にしなくなった。

いわゆる渋切りもきっちりとはしない。雑味も含め、小豆の全てが美味しいと思うから、自分で作るあんこは極めて素朴になった。

私の興味は、煮上がったあんこはもちろん、キャラメルソースや紅茶のように美しい色に変化する煮汁と、やがて小豆が膨らみ皮がはち切れて出現する「呉」にあったりもする。煮てこそ知る小豆の不思議。

煮汁は芳しく風味豊かでどこまでも透き通り(もちろん飲む)、しっとりと沈殿する呉は、まるであんこの甘美な宝物のようだ。そうして過ごすうちに砂糖を替え、水分や潰し加減を替え、ワインで煮含めたりしている今日この頃。

特にオレンジワインの醸造法の特徴から来る雰囲気に、小豆と馴染む共通点がある気がしたので躊躇なく注ぎ入れる。翌日食べて、小豆の懐の深さに果てしない可能性を見る。何と楽しいことだろう。が、やたらに混ぜるでないぞ、と自分に言い聞かせもする。

今日あなたに伝えるあんこレシピは、初めて小豆を煮ようとする人に何と伝えたらいいものか、と小豆に聞きながら考えた。数値で言い切れない、煮る場で起こる部分は体験。

一生の友にする価値のある小豆を煮るということを、まずは体験してください。自分だけの秘密のレシピはその先で見つかるかもしれない。