Visit

説明不可能、説明不要。伊豆の珍奇スポット『まぼろし博覧会』へようこそ!

伊豆を代表する珍奇スポットが、ここ『まぼろし博覧会』。誰しもが、その異常な世界観に圧倒されること間違いなし。だが、そのカオスな様相を文章で表現することは不可能だし、解説するのも野暮というもの。ここはひとつ、館長のセーラちゃんの言葉に耳を傾けてほしい。

photo: YUTA / text: Tetsu Takasuka

旗を振って去りゆく来館者を見送るセーラちゃん
セーラちゃん
『まぼろし博覧会』館長。出版社を経営する傍ら、伊豆エリアで『まぼろし博覧会』のほか、『ねこの博物館』、『怪しい少年少女博物館』を運営。セーラー服に身を包んだセーラちゃんとして、自ら来訪者をもてなす。写真は全力で旗を振って去りゆく来館者を見送るセーラちゃん。

現実社会だってカオスじゃないですか

『まぼろし博覧会』はね、現実世界のあらゆるデータを集めて圧縮した博物館なんです。言い方を変えれば、この100年の間を生きてきた人にとっての思い出のアルバムを現物で作っているようなものです。しかし、 しかし、人の価値観はそれぞれ違うし、生きてきた空間も場所も違う。

ならば、なんでも全部集めちゃったらいいんじゃないかと思ったんですよ。そうすれば、きっとどれかが心に引っかかる。そうして、昔のことを思い出して懐かしくなったり、元気になったりしてくれればいい。テーマは現実社会だから何が陳列されていてもいいんです。

よく『まぼろし博覧会』はカオスだって言われるけど現実社会だってカオスじゃないですか。

エントランス
『まぼろし博覧会』のエントランス

『まぼろし博覧会』では展示物に何の説明も加えていません。それが何かなんていう説明はどうでもいい。勝手に理解すればいいし、作った側の意図と違うとらえ方をされたって全然いいんです。そもそもコンセプトなんて作ってないですからね。

博物館なんて見に行ってもしょうがないんです。大英博物館に並んでる古代のものなんて全部、現代社会で必要とされなくなったもので誰の役にも立たないでしょう?一部の研究家以外、得るものなんかない。僕からすればフィギュアの人形を集めてるのと何も変わらないですよ。

お宝なんてないですよ。でも、戻ってきたくなる

「昭和のメルヘン・おばあちゃんの部屋」というコーナーがあるんですが、ここにはある亡くなったおばあちゃんが集めていたコレクションを引き取って展示してあります。おばあちゃんがお小遣いで集めていたようなものだから、お宝なんかないんですよ。

でも、観に来た人が、“これ、うちのおばあちゃん家にもあった!”なんて言って喜んでくれるんです。すごく貴重な美術品だって一回見て知識として取り入れたら、もう興味なんかなくなっちゃう。

でも、おばあちゃんの家にあったような懐かしいものはもう一回見たくなる、その空間に戻りたくなるんです。庶民が生活の中で残していったものが大事なんです。

綺麗や上手なんて面白くない

『まぼろし博覧会』を作ることになった理由をよく聞かれますが、ただ突然やりたくなっただけなんです。“面白いことを思いついた、だったら作ろう”って。計画なんか立ててませんよ。計画した途端に面白くなくなりますから。

僕は出版社を経営していて、たくさん本を作ってきたけど、どの作家も大体、1作目が一番面白いんです。粗削りだけど本当に書きたかったことを書くから。『まぼろし博覧会』を作るのも、本を作るのも同じです。周りと同じことをしたってしょうがない。どうすれば興味を持ってもらえるかが一番大事なんです。

装丁だってプロに頼めばそれは綺麗なものができてきます。でも、綺麗なことに何の意味があるんだって。受け取る側の興味を惹かなければ何の意味もないですよね。僕なんか本のタイトルに誤植があったっていいと思ってる。その方が話題になりますから。

『まぼろし博覧会』に置いてある展示も基本的に傷んでも修理しないんです。ペンキが剥がれた方が面白いかもしれないし、マネキンの腕が取れた方が面白いかもしれない。歌だって音程通りに上手に歌っても面白くもなんともないし、世の中に上手な人はいっぱいいる。そんなのより、音痴な人が楽しく歌っている歌が一番面白いんです。

セーラちゃんは7年前から。別に女装したいわけじゃない

「セーラちゃん」になったのは、7年ほど前のことです。あるイベントを開催したときに“セーラー服おじさん”という方が来たんです。その姿を見て、自分もやってみようと思って、人形に着せてたセーラー服を着てみたんです。

するとツイッターで“セーラちゃん”として話題になってしまって。これは面白いことをやらざるを得ないなという感じで。最初はセーラー服だけだったんですが、そのうちラブライブの衣装を着たり、お客さんからもらったビキニを着たり、何でも着てやろうという気持ちになりました。

別に女装をしたいわけではないんですよ。見た人が瞬間的に楽しくなってくれればそれでいいんです。かっこいい服を着てても誰も喜ばないじゃないですか。間抜けなほどかわいい衣装を着てお出迎えしたら、みんな緊張感が一気に解けて楽しい気分になってくれるんですよ。

お客さんが帰るときはいつもセーラちゃんの格好で旗を振ってお見送りします。セーラちゃんは出会った人みんなと友達になるんです。次いつ会えるかわからないけど、また来たいと思ってほしい。そのためなら旗を振るのなんて簡単なことです。

『まぼろし博覧会』はサブカルじゃないですよ

『まぼろし博覧会』が珍スポットだとかサブカルスポットだとは思ってないんですよ。現実社会をテーマにしているんだから、これ以上ないほどのメインカルチャーですよ。歌舞伎とストリップ、どっちがサブカルかって言われたら、僕にしてみればどっちもサブカルですよ。そんな分類はいらないんです。

僕は出版社を経営しているけど、本はまったく読まない。タイトルと目次だけ見て、内容は自分の頭で考えるんです。どこかの知らないおじさんが考えたことを読んだって仕方がないから。自分で考えることが大事なんです。

創造的なものを作り出すのに学ぶことなんて必要ない。データを集めて何かを作るなんてロボットのやることで人間のやることじゃない。考えに考え抜いてあり得ないものを創り出すのが人間なんです。学ぶより考えた方が、絶対に斬新なものができますから。