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ラランド・ニシダの愛すべき純文学:太宰治『困惑の弁』

ラランド・ニシダがおすすめの純文学を紹介していく連載。前回の「中島敦『文字禍』」を読む。

edit&text: Emi Fukushima

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太宰治『困惑の弁』

ラランド・ニシダの愛すべき純文学:太宰治『困惑の弁』
太宰治著。1940年の文芸誌『懸賞界』に寄稿。『太宰治全集(10)』収録。ちくま文庫/1,045円。

自虐に滲み出るのは、謙遜か、ナルシシズムか

皮肉っぽくてプライドの高い太宰治がここぞとばかりに表れているのが本作。全編を通して、自分のような未熟者は、大家ばかりが載る文芸誌に名を連ねる器ではない、だの、学生たちに時折頼られるのも尊敬からではなく訪ねやすいからにすぎない、だの、自身のことを過剰なまでに自虐的にへりくだって綴ったエッセイです。

“芥子粒ほどのプライド”というお気に入りの表現を2回も使いながら自分のちっぽけさを滔々と語るこの文章からは、自分の生き方にこれはこれで納得している、いや、なんならちょっとカッコいいとすら思っている、そんなナルシシズムが滲み出ているんですよね。それでも自虐せずにはいられないひねくれっぷりが大好きです。

自虐はお笑いでも多用されますが、大抵の場合は皆、自分の中で折り合いがついている弱みしか晒さないもの。そしてそれは、「自分は全く気にしてませんよ」のポーズにもなります。本作の太宰と同じように、僕だって本当の意味で自分のことをクズだと思ったことがないから、借金を重ねてギャンブルをしようが親と不仲だろうが自虐的に語れます。

人からいじられたって問題ありません。ちなみに僕は、自虐の一種として“ハゲ”エピソードをすることがありますが、他人から言われるのはNGです。だって、ハゲてはいないから。

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