中島敦『文字禍』
強引に暴く、文字の悪しき精霊の存在
古代アッシリアを舞台にした本作の主人公は、文字の精霊について研究する老博士。意味のない線の交錯と集合が、特定の意味や音を持つ「文字」となり得るのは、霊のなせる業に違いないと考えた彼が、それらがいかに人間に災いをもたらすかについて、独自の論を展開していきます。
本書全体を通しては、「書を捨てよ、町へ出よう」との寺山修司の格言のように、文字や情報にとらわれていては本質をつかむことはできないと伝えているのだと思うんですが、個人的にグッときたのは、その教訓よりも論の強引さ。後半にもなると、文字の霊に蝕(むしば)まれた博士は、文字を注視すると起きる「ゲシュタルト崩壊」のように、家までもが、木材や石といったパーツごとの無意味な集合に見えるようになってしまうんですが、流石にそんなことあるはずないですよね。文字を悪く書き立てたいがために、嘘をついているなと。仮説に踊らされる人間味にワクワクしました。
思えば大学を一度退学して再入学した頃の僕は、活字中毒でした。文字なら何でもいいという境地に達し、四六時中本を読むだけでは満たされず、街中のフリーペーパー、バイト情報誌までをも隅から隅まで読み漁っていました。今考えるとあれは、精神的に不安定だったのか、文字の精霊に取りかれていたのか……。