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食べる

日本の中のインド亜大陸を食べ歩く。〜北関東編〜

インド、ネパール、パキスタンなど、インド亜大陸と呼ばれる地域の人々が、日本に祖国の文化を根づかせている。全国に点在するコミュニティには、ディープな食体験があった。

初出:BRUTUS No.918「CURRY for Geeks」(2020年6月15日発売)

photo: Masaki Kobayashi / illustration: Yuko Saeki / edit & text: Toshiya Muraoka

日本がカレーに溶け込んでいる

インド系食器を主な商材とする〈アジアハンター〉の小林真樹さんは、20代でのバックパッカー旅以来、インド亜大陸の国々に惹かれ続けている。実際にかの地に買い付けに訪れるだけでなく、日本国内の彼らのコミュニティにどっぷりと浸かり、彼らが食べているものを一緒に食べるようになった。

日本におけるインド亜大陸文化の魅力の一端をこう説明する。

「日本に住んでいる同胞向けの料理も、食材にしろスパイスにしろ、当然現地のものとは違う、限られたものになるんです。そうしてやりくりして作り出したメニューには、少しずつ日本が混じっている。それは日本の地方でしか食べられない、独自のメニューなんです」

背景に悠然と広がる祖国の文化と日本が混ざり合い、その結節点としてカレーはある。全国に散らばったインド亜大陸への旅では、彼らの国を旅するのと同様、あるいはそれ以上の体験が待っている。

今、食べている料理は、どうやって生まれたものなのか。その来歴を考えながら小林さんは席に着く。カレーは、世界を覗く入口になっている。

北関東編

中古車オークションに集うパキスタン人たちが同胞のために提供する料理に、オールド・インドの源流を知る

1980年代からバブル期まで、パキスタンと日本は相互ビザ免除のために、自由に行き来しやすい環境が整っていた。当時、北関東にはさまざまな業種の工場が点在し、そこで働くためにやってきたパキスタン人たちは日本の配偶者を見つけて結婚したり自分で商売を始めたり、少しずつコミュニティが形成されていった。

佐伯ゆう子 イラスト
ガレージ前の野天キッチンでのチャプリ・カバーブ食堂。チャプリとは、挽き肉を使ったハンバーグのようなもの。

その培われた土壌で現在、盛んになったのが、中古車輸出業。パキスタン人たちは世界中にネットワークがあり、日本で仕入れた中古車を世界各地に送っている。

そうやって中古車オークションまわりに集まった同胞に向けて料理を出す店が少しずつ増えているという。きちんとレストランとしての体裁を整えた店だけでなく、中古車を止めておくガレージの脇でカバーブ(ケバブ)を出したり、友人宅での集会の延長線上の食堂もあるという。パキスタン料理とは、そもそもどんな料理なのか?

茨城〈BLUE MOON〉入口
「インドよりもインドらしい」といわれる、茨城県下妻市のレストラン〈BLUE MOON〉の入口。

「もともとインドとパキスタンは同じ国です。独立戦争後に分かれて、パキスタンという国ができたので、実は歴史的にはパキスタン料理というものが確固として存在していたわけではないんです。ただ、分かれた時にパキスタンはイスラム教を国是とする国になったので、インドに住むイスラム系の人たちが流れていったんですね。彼らが持っていた料理文化が源流というか、今のパキスタン料理につながっている。なので、僕から言わせるとオリジナルのインド料理のようなもの。純粋な昔のスタイルのインド料理が残っていると思います」

彼らの本業は中古車業のため、「飲食業はあくまで自分たちの同胞向けで、日本人なんか全然想定していない感じ。あくまで自分たちの仲間内」で食べているが、彼らは決して排他的ではない。むしろイスラム教徒はもてなし上手で、すでに30年以上日本に暮らしている人もいるので、日本語を巧みに話す人たちも少なくない。

「彼らの語らいの場にお邪魔するのは、すごく面白いです。文化を学びに行くという姿勢なら、拒絶されることはないと思いますよ」

北関東にはほかにもインド亜大陸出身のコミュニティが点在している。肉が主体のイスラム系のカレーに対して、菜食主義の料理を出すのが、ターバンを巻いたインド人のスィク教徒たち。

「宗教施設と食って、すごく密接なんです。お祈りした後に、みんなでご飯を食べたりすることが多いんですね。自分たちで作って、給仕して、後片づけまでする。その一連がセットとして宗教活動になっているんですが、彼らもまたすごくウェルカム。とても貴重な食体験になるはずです」