江戸っ子の心=「粋」って、
どんなものだろう?
小泉武夫
今日はお招きありがとうございます。いや、ここはまた素晴らしいお店ですね。
平松洋子
こちらの〈シンスケ〉は大正年間に創業なさって4代目になるのですが、お店に立つ3代目の姿がまた素晴らしいんです。シュッと粋なぱっち姿で。お料理はもちろんですが、そういった姿もお店の大事な一場面。
小泉
このお店はすぐそばに湯島天神がありますけど、天神さまや明神さまがあるところの下にはしっかりした料理屋さんがあるんですよ。それは祭りと深く関係していると思うんです。祭りっていうのは非常に粋な世界でしょ。そういう雰囲気の中で食もまた江戸人の粋な心を宿してきたんじゃないですかね。
平松
東京の東は不忍池や隅田川があって風光明媚だから、往時から多くの人が遊びに来ていた。
実際、江戸時代には豪商や文人が集まる場所が多かったそうですから、そんな土地柄も関係しているかもしれませんね。
小泉
粋な店、食文化が生まれた背景には日本橋の魚河岸があることは忘れてはいけません。江戸前の食材が集まる場所ですからね。
江戸の魚というのはほとんど白身なんですよ。スズキとかマコガレイとか。白身の魚を中心に食が発達してきたわけです。
そんななかで、僕が江戸の粋という部分ですごいなと思うものに“煎り酒”というのがあるんです。
平松
お醬油の代わりにお刺し身につけるもの。あれは江戸ならではの美意識を感じます。
小泉
日本酒を土鍋に入れて、カツオ節と梅干しを加えて煮詰め、最後に漉して焼き塩で味を調えるのですが、それが非常に美しいつけだれになるんです。江戸の人は白身魚に醬油をつけると魚が汚れると言って煎り酒を使ったんですね。
平松
江戸前の粋を表すような調味料ですよね。それで思い出すのは、江戸時代にあった寿司の屋台の風景なんです。
屋台に入るとまず大きな湯飲みが出てきて、客はきっとそれを飲みながら、どれにしようかなってネタを見ていたんでしょうね。もちろん主人の握る手元も全部見えるわけですから、一種の緊張感があったと思うんです。
小泉
当時は大きなどんぶりに醤油が入っていて、みんなでそれを共有したんですよ。
平松
そこにご飯粒でも落とそうものならみんながジロリ(笑)。今でもお寿司屋さんって独特の気の張りがありますけど、江戸の屋台ですでにその空気が生まれていたと思うと面白いです。
小泉
粋な人というのは寿司屋に入っても20分くらいでぱっと出てくるものですけど、今そうやって「粋な食べ方」と言われているのも、江戸の食文化から来ているものだと思います。喉越しの速さっていうのが江戸人の得意なところでしたから。
寿司だって握ったそばからぱっと食べます。江戸の絵を見ると蕎麦もみんな立ち食いですし、天ぷらだってそう。その場で揚げて食べさせる屋台でしたから。これらは江戸を代表するファストフードだったわけです。すごくハイカラでしょう。
平松
当時の江戸は男性の人口が多く、そういうものを食べたのが主に男性だったというのも、のちにそれが「粋」といわれることに大きく関係したと思います。手早さとか潔さとか。
小泉
女性が屋台なんかに行くようになったのは幕末になってからですからね。
平松
実は私、18歳くらいのときに初めて立ち食い蕎麦屋さんに入ろうとしたんですけど、無理だったんです。そのときはとりたてて粋だとか考えていませんでしたけど、立ち食い蕎麦っていうのは生活とつながった一種のスタイルというか、東京の一つの情景だなと思っていたので、それができない自分は格好悪いと思った記憶があります。
小泉
屋台や立ち食い蕎麦、居酒屋というのは男性文化のなかから生まれた形態ですから。
今は違いますが、そうお感じになるのは正論と思います。そういうところに行かない女性の方が粋だという考え方もできますしね。
「あ・うん」の呼吸があってこそ
「粋」というものが生まれる。
平松
あと、私は常々思っているのですが、大阪のお料理のあの艶!あれは東京とは全然違うなと。なんなのでしょうね、あのほんのりとした艶っぽい色気は。
小泉
いい話だね、それは!そもそも料理というのはほとんどが関西からこっちに伝わってきました。だから江戸っ子は関西のものを受けて、必死で粋な料理を考えたんですね。
平松
東京のお料理は引き算というか、そのキリッと削いだところが好まれますけど、そこにも江戸の人の気風が出ていますね。
小泉
もしかしたら浪花節と講談の違いに近いのではないでしょうか。大阪はどこかウェットで東京は講談でダーンッて感じじゃない。
平松
たしかに!間合いからして違う。
小泉
私は江戸人がすごいなと思うことの一つに、豆腐の調理法を100通り記した『豆腐百珍』という料理書があるんです。豆腐なんていうのは京都あたりの粋を感じる食材ですが、それを江戸の人がいじくり回して、江戸流の粋さを生み出したわけです。
平松
豆腐というのは四角くて真っ白で、あの潔さにはどこか惹かれるものがあります。そういうところも潔い気風にぴったりきたと思います。
小泉
江戸の居酒屋には「竹虎」という料理があって、厚揚げを鉄格子で焼いて、ネギの青い部分を刻んでかけたものなんです。厚揚げについた焼き模様にネギの青がかかって、まるで竹林に虎がいるみたいに見えるってことで「竹虎」と名づけたんです。ネギを大根おろしに替えたものは「雪虎」といってね。料理も名前も実に粋ですよ。
平松
江戸っ子は言葉遊びも好きですよね。
小泉
粋というのを意識するんじゃなくて、こんな料理ができちゃったんだけど、後で見てみたら粋だったという感じ。江戸というのはそういうところがあるんですよ。
平松
心から粋だなと感じるものって、粋なものを作ろうと思ってできたものじゃないんですよね。「あ、これだな」ってピッと感じる、そういう精神性を表したのが粋というものじゃないかと。
小泉
つまり粋っていうのは結果論なんだよ。
平松
だから「粋とはこういうこと」と具体的に語ろうとすればするほど粋じゃなくなる。
小泉
粋を語るのは野暮なんです(笑)。
平松
でも、わかるときはもう震えるくらい「これだ!」っていうときがある。きわめて言葉で説明しづらいものですよね。
小泉
私が江戸前寿司の精神を受け継いでいると思う店に〈鮨 松波〉があるんですけど、そこはすごい。例えば蒸しアワビ。アワビを蒸したときにおいしい蒸し汁が出るでしょう。主人がそれをワイングラスに入れてちょっとだけ出してくれる。これがまた粋なんだ!
平松
「粋」という言葉って、決してひと色で語れるものではないですよね。間合いとか距離感とか、すごく幅のある概念だと思います。相手はこうなんだろうなと推し量りながら一回呑み込んで、関係性を保ちながら距離感を測る。
その上に成り立つ「あ・うん」の呼吸みたいなものがあって初めて「粋だな」と感じ入るんじゃないかと思うんです。お寿司屋さんがそっと出してくれるアワビの蒸し汁だって、両者の関係性があってこそ感動できるんですものね。
小泉
「よーし、粋なことをやるぞ」なんて思ってやると、途端に野暮ったくなっちゃう。
シンスケ(湯島)
人情深く、そして潔く。
江戸文化を伝える酒場。
江戸時代に酒屋として創業したのち、関東大震災後に居酒屋に。現在は3代目と4代目が店に立つ。「居酒屋は銭湯と同じ禊の場。仕事場と家の間にあって、気持ちをさっぱりさせる空間でありたい」と4代目の矢部直治さん。
江戸料理に現代風のアレンジを加え、伝統と時代の空気を一皿に盛り付ける。扱う日本酒は戦後の動乱期に恩義を受けた秋田の「両関」のみ。
鮨 松波(浅草)
カウンター越しに見る
江戸前寿司の「粋」。
浅草生まれの店主が握る江戸前寿司。今ではほとんど使われない「本手返し」で握るしゃりは、ネタとの一体感がありつつも、口に運んだ瞬間に米粒がほどける。
「ご飯にもアルデンテがあるんです。米一粒一粒がお米ですよと主張しなくちゃ」という店主の松波順一郎さん。
ネタとの一体感を生み出すご飯は鉄鍋で炊き上げる。煮切り、ヅケ、酢〆、昆布〆など、江戸前ならではの繊細な技が随所に光る。