平松洋子
〈鮨 松波〉の近くに〈並木藪〉という老舗のお蕎麦屋さんがあるのですが、そこも粋を感じるお店の一つです。いつも潔い空気が流れていて、お蕎麦ももちろんおいしいのですが、ひときわ感じ入ったのが、5年ほど前にお店を建て替えられたときのこと。
それはもう文化遺産みたいに素晴らしい佇まいだったので、お客はみんな「建て替えたらどうなっちゃうんだろう」とドキドキしていたんです。でも工事が終わってびっくり。建て替えたことを感じさせないくらいそのままで。
小泉武夫
素晴らしい!
平松
お店の方が〈並木藪〉の持っているものを理解されていて、お客がそこに何を求めているのかもよくよく知っているっていうことなんですよね。言葉はなくてもわかり合っている。そういう関係も粋というものの一つのあり方なのかもしれません。
小泉
まさしく「あ・うん」の呼吸ですね。
老舗に野暮な店が少ないのには
ちゃんと理由があるのです。
小泉
その「あ・うん」の呼吸ができない人が増えてきているのが残念です。例えば寿司が置かれていても話に夢中で食べないとか。
平松
お店ってそのときどきで使い勝手があると思うんですけど、それがずれてしまうと格好悪くなってしまうような気がします。お寿司屋さんに大勢で行っても間が悪くなるし、お店の方も、ね。
小泉
私もね、昔は野暮なことをした反省がいっぱいありますよ。私は早食いでしてね、よく食べた後に反省してました。丹精込めて作られた料理なのに、これはゆっくり味わって食べなきゃいけなかったんだ!って。
平松
粋というものには「何ヵ条」なんて決まりがあるわけではないし、お寿司屋さんではささっと食べても、逆にわーっと食べちゃうと客も店の人も悲しくなる場合もありますよね。
それはもう適材適所というもので。どんな局面でもお互いの関係のなかで何かが成り立つというところに着地できれば、それが結果的に「粋」というものになってくるのかなと思います。
小泉
独り善がりから「粋」は生まれませんからね。それは“粋がってるやつ”です(笑)。
平松
どんな振る舞いをすればいいかわからないときは、教えてもらう姿勢でいけばいいんじゃないでしょうか。最初から格好良く振る舞おうとするのは余計野暮というか……。何をどう頼んだらいいですかと虚心坦懐に聞く。それを馬鹿にするような店には行かなければいい。
小泉
経験と学習は大切ですね。そうすれば粋というものがだんだんとわかってくる。
平松
そういえば去年、フィンランド人のシェフのご夫婦をこのお店にお連れしたことがあるんです。初来日の1軒目にぜひと思って。そうしたらお店に入るなり「うわ〜っ!」って目を見張ってくださって。
小泉
わかるんですね、雰囲気でもう。
平松
いい店かどうかを頭で考えているというのではなくて、ここには何かがあるっていう精神性みたいなものを即座に理解してくださった。その姿を見て、今度は私が感激してしまいました。
小泉
このピシッと延びたカウンターとかね、見ればわかるんですよ、たとえ「粋」なんて言葉を知らなくてもね。
平松
ええ。お店のあり方とか、店や人が大事に培ってきた精神性とか、そういう言葉にならないものってどこの国にもありますものね。文化が違う方にも伝わるんだなって。
小泉
それはぜひ〈駒形どぜう〉にも行ってほしかったですね。江戸時代からその精神を受け継いで、今日に至るまで7代も続いているお店ですから。
平松
私も時折伺います。
小泉
ドジョウ鍋に使う丸鍋にしても、江戸時代の絵に出てくるどぜう屋と変わってない。
平松
老舗には野暮ったい店が少ないですよね。それは伝統を受け継いできたというだけではなくて、その時代時代にどう合わせていくか、常に考え続けてきたからだと思うんです。時代によって人の嗜好も変わりますし、素材の味も調味料の味だって変化しているはずですから。
小泉
原形だけにこだわっていると、だんだん受け入れられなくなりますね。
平松
そんななかで工夫をしながら、でも変わっていないように見せるっていうのはすごいことですよね。自分たちのあり方を考え続けることなしにはできないことです。
小泉
だからこそ長く続いてこられたんです。
平松
そういう店はきっと距離感とか間合いとか、形にならない、言葉にならないものがやがて店の気風となって表れて、私たちが「粋だなあ」と感じ入るんじゃないでしょうか。
小泉
おっしゃる通り。そういう店が醸す雰囲気、情景というものをぜひ若い人にも体験していただきたいですね。そうすれば粋という文化も後世に残っていくんじゃないかと思います。それは切に願いたいところですね。
駒形どぜう(浅草)
江戸情緒が残る空間で
200年前と変わらぬ味を。
1801年創業のドジョウ料理専門店。初代が考案したどぜう鍋とどぜう汁、2代目が始めたくじら鍋は今も健在。ドジョウ料理に欠かせない江戸の甘味噌は創業時と同じものを使うなど、江戸庶民の味を今に伝える。
「ドジョウは開いて調理する店もありますが、うちは昔から一匹丸ごと煮込む丸鍋。骨まで余すことなく味わってほしい」と副店長の小形輝昭さん。冬期は同じく江戸庶民の味、なまず鍋も登場する。