HONDA創業者、本田宗一郎の破天荒な逸話は、本田が56歳の1962年に日経新聞に連載された「私の履歴書」に、最晩年91年までの「履歴書その後」を加えた自伝『本田宗一郎 夢を力に』(A)がほとんど網羅している。
彼は「99%は失敗の連続であった」と振り返るが、その1%の成功譚があきれるほど痛快でもある。受勲の際に技術者の正装だと白いツナギを着ようとして諫められたり、技術開発のため海外から部品を体中に巻きつけて密かに持ち帰ったりと、もうやりたい放題でおかしい。
もう1冊の自伝、1961年の『スピードに生きる』(B)もまた、ビジネス書としても今に通じる良書。時間を濃密に生きる「時は金なり」の精神や、守りに入らず独創的なアイデアで次から次へと「攻め」の経営をする本田イズムに熱くなる。
『俺の考え』(C)や『本田宗一郎語録』(D)は本人の肉声エッセイ集。社員から「オヤジ」と慕われる、自動車修理工から叩き上げた男の言葉だから説得力がある。
『経営に終わりはない』(E)は、本田と二人三脚でHONDAを大躍進させた副社長、藤沢武夫による人生の指南書。二輪&四輪レースで頂点を極め、世界のHONDAとなったその陰に名参謀あり。2人の出会いの逸話に涙だ。