小浜:鯖街道、始まりの出発点は、漁業や廻船で栄えた港町
古くは「御食国(みけつくに)」の一つとして、塩や海産物などの食材を、皇室や朝廷に届けていた福井県の港町、小浜(おばま)。かつて「若狭国」と呼ばれたこの地で獲れた魚は山を越えて、辿り着いた京の都で宴席を華やかに飾った。「若狭ぐじ」や「若狭がれい」など、土地の看板を背負う高級魚は、「若狭もの」として珍重されているが、江戸中期から昭和にかけて大量に水揚げされた鯖は、なかでも重要な食材であったと言っていい。
当時、腐らないように一塩してから一昼夜、天秤棒や大八車に載せて運ばれた生鯖は、京都に着く頃にちょうどいい加減になっていたのだという。以来、若狭の鯖は鯖寿司などとして、京の祭りなどハレの日には欠かせないものとして今に伝わっている。
そして「京は遠ても十八里(京は遠いとは言ってもたった71kmだよ!)」と、おそらく励まし合いながら魚を運んだ道は、いつしか「鯖街道」と呼ばれるようになった。車なら2時間ほどの、その道を辿れば、過去から現在へと続く“食の進化”と戯れることができるに違いない。日本有数の食の街道を巡る旅はこうして始まった。
旅の起点は、とても静かな町だった。もともと小浜市場の中心として賑わっていた商店街は開発で姿を消し、現在はそこにあった資料館をリニューアルした〈小浜市鯖街道ミュージアム〉がある。ここが京都・出町柳のゴールまで続く鯖街道のスタート地点だが、まずは恵みの海を拝まぬことには。歩いて10分ほどの小浜湾は、昔の繁栄が幻に思えるような小さな漁場である。
しかし、若狭湾の支湾であり、リアス海岸が特徴の湾から揚がる魚はとにかく種類が豊富だ。海沿いの市場で競られたばかりの魚が並ぶ〈若狭小浜お魚センター〉にも、色とりどりの食材を目当てに人が集まっていた。春はサワラ、サヨリ、キス、秋には若狭のグジやヒラメ、岩牡蠣(いわがき)、アワビ。冬になるとブリや越前ガニ。
もちろん、春と秋が旬の鯖も欠かせない。今でこそ、小浜産は貴重なものとなってしまったが、串に刺した鯖を丸焼きにした焼き鯖やへしこを求める客に、鯖がいかに小浜の食卓に欠かせないものであるのかを実感する。市場の後、小浜の北東へも足を延ばした。文化財を改修した〈GOSHOEN〉で、巨万の富を築いた北前船の商人の栄華に触れる。町を発展に導いた富豪の別邸は、その頃の面影のまま、今という時代を取り込んでいた。
若狭⼩浜お⿂センター
GOSHOEN
熊川:多くの旅人が体を休めた宿場町の宿で、江戸の頃を思う
さて、暮れる前に鯖街道を急がねば。いくつかあるルートから、最大の物流量があった若狭街道を選んで車を走らせる。馬や船の荷継ぎ場として賑わった宿場町、熊川宿までは数十分と意外にも遠くない。重要伝統的建造物群保存地区に選定された街道沿いは用水路が流れ、古い町並みがそのまま残されている。
昔ながらの宿場跡に、ふと江戸時代の賑わいが蘇るように錯覚するのは、ゆったりとした静寂が、土地の歴史を押しとどめているからか。最盛期には、1日1000頭の牛や馬が行き交い、400人もの宿泊客がいたと聞いて驚くが、現在は高齢化により140軒残る建物のうち3分の1が空き家となってしまった。
宿泊先に選んだ〈八百熊川(やおくまがわ)〉は、それらの保存を目的に、築100年近い建物を改修した古民家宿だ。暮らすような滞在を叶える宿では、地元のお母さんたちが腕を振るう郷土料理も名物。ここでも、鯖味噌やへしこは定番。熊川名産の葛豆腐やこんにゃくの唐揚げと、滋味深い家庭の味が体に染み入った。満腹になれば、夜は早い。江戸の商人がきっとそうしたように、遠くに京を感じながら眠るのだ。
八百熊川
葛川:鯖街道で店選びに迷うほどの名物、鯖寿司を食す
翌朝はいよいよ京を目指す。熊川を南下し、滋賀県の朽木(くつき)に差し掛かると、安曇川(あどがわ)の雄大な流れが歩みに寄り添う。かつてもこの川は、京への道しるべとなっていたのだろうか。車が走る国道はすっかり整備されていて旧街道の名残は薄いが、その痕跡を捉えようと、流れる車窓に目を凝らした。
葛川(かつらがわ)に入ると、鯖寿司の店が街道沿いを賑わせる。なかでも歴史の古い〈鯖街道花折 工房〉で寿司を買う。今はトンネルをくぐってたった数分の距離も、裏の花折峠(はなおれとうげ)を越えて歩いたと聞く。京への道は、いかに遠く険しかったものか。
鯖街道花折 工房