江戸前天ぷらといえば東京湾の魚です
「天ぷらと揚げ物は違うの。江戸前の魚でなくっちゃ、天ぷらと言わない」と、早乙女さん、きっぱり言い切る。とはいえ季節とのバランスもある。「現在、江戸前の魚は8割ってところかな」。江戸時代には羽田から葛西あたりまでの間に、16の漁業組合があったとか。
そこで扱った魚が「江戸前」と呼ばれるものだった。ただ、現在は、埋め立てや開発などによってその範囲は少しずつ拡大しているのが現状だ。早乙女さんは「東京湾内」と定義する。「東京湾は入江が深く、波が穏やか。そして、塩分濃度が低いんです。ここに大小250もの河川が流れ込んで、魚の餌となる植物性プランクトンを運んでくる」。つまり、魚たちは恵まれた環境で育つ。
だから「皮が薄く、骨も薄い。それが天ぷらにぴったりなの」。「揚げる」ってどういうことか。「それは“蒸す”と“焼く”という2つの調理をいっぺんにすることなんです」。油の中に入れるから、油で直接調理しているように思うが、まずは衣と魚の水分で蒸し上げ、余分な水分が抜けた時点から、油で焼くという調理へと自然に推移する。
ただ、普通、水分が抜ければモノはしぼむが、天ぷらの場合はしぼまない。それは、水分が抜けたところに油が入るからだ。つまり、水分と油が入れ替わったということだ、と早乙女さんは言う。「普通は、煮るだけとか焼くだけ、あるいは生といった調理法でしょ。天ぷらは2つの調理法がいっぺんにできる上に、油の旨さまで加わっちゃうんだから、最強でしょ」。
揚げたてをサクッと嚙めば、最高の状態まで抽(ひ)き出され、衣の中に封じ込められていた魚本来の香りと旨味が、一気に口の中に弾ける。魚をおいしく食べるには、やっぱり天ぷらが一番いい。
生き方から江戸前でなくちゃ江戸前の天ぷらは揚げられない
「天ぷらはいかにバランスよく水分を抜くか。その水分コントロールが大事なんです。キスならキス、アナゴならアナゴのベストの水分ってものがあるから」。キスは、身の方には生粉を打つけれど、皮目の方には何もつけない。「そうすると水分の出方が均一になって、バランスよく全体から水分が抜ける。15〜20%水分を抜くのがちょうどいい」。メゴチは全体に粉を打つ。アナゴのようなぬるぬるした魚には粉は打たない。
春は例年のことながら、白魚を山ほど揚げる。あの小さい白魚(しらうお)を1尾ずつ揚げるのである。どうやって1尾ずつベストな状態で客に出せるのか。名人だからこそのテクニックだ。
「いや、モノ作りというのは、テクニックだけじゃないの。人間性が反映されるもの。同じことをやっていても、出来上がりに大変な差がつくことだって多い。自分の生きざまが江戸前でなかったら、江戸前の表現なんかできっこないんですよ」
〈みかわ是山居〉があるのは、江戸のメインストリート、御成街道沿い。「江戸前をやるんなら、この場所でなくちゃ」。かつて賑わった街道も、今は奥まった住宅街。「ハンデあり」ながら、それを押し通すのもまた、「江戸っ子の生きざま」だという。
魚がおいしくなる季節。江戸前の魚の真髄を、江戸前の表現の天ぷらで味わう。粋ですねぇ。