Cook

小倉ヒラクの発酵魚食考。発酵と魚の耽美な世界とは?

「発酵文化人類学」という学問を提唱し、発酵デザイナーとして活躍する小倉ヒラクさん。世界各地、全国津々浦々を歩き、その土地土地の発酵文化を体現、研究してきた発酵エバンジェリストに聞く、発酵と魚の耽美な世界とは?

Photo: Satoko Imazu / Text: Chisa Nishinoiri

クサい!は旨い⁉ 人はなぜ、臭い魚を食べるのか。

「世界中に存在する発酵文化の中で最も大切なものの一つが、魚の発酵じゃないかと思います。漁は季節や自然環境の影響を受けやすいので安定供給が難しい。そのうえ魚はマジで腐りやすいから、保存、流通のため防腐処理が不可欠でした」と、小倉ヒラクさん。魚と発酵の世界に足を踏み入れる前に、まずは少し食物と保存の関係を知っておく必要がありそうだ。

「そもそもどうして魚が腐りやすいかというと、魚が海の生き物である点に由来すると思います。海は生命が誕生した場なので多くの生物にとって生きやすい環境。海の中は適度な中性でミネラル、溶存酸素と二酸化炭素があります。つまり生命が生きやすい=バイ菌もいっぱいいるということ。だから魚は、死ぬと自分で自分を分解しようとする働きが強いんです。有機物が死ぬと自身の消化器の中にいた微生物(細菌)や外部から付着した細菌の持つ酵素によって分解が進みます。これが腐敗です。

この腐敗を食い止める方法には色々あって、まずは低温保存。冷凍することで微生物の活動と増殖を抑えます。次に干す。水分を蒸発させて微生物が使える水分活性を減らして腐敗を食い止める。燻すという方法もあって、水分に加えpH値をアルカリ性にして雑菌の侵入を防ぐ作用もあります。あとは塩漬け。塩の浸透圧で微生物の細胞から水分を奪い殺菌・制菌する方法です」

人間がその土地の気候風土に根づき、安定的に食品を得ようという欲求により会得してきた保存食という文化。その飽くなき探求の末、あるいは偶然的な発見によって切り開かれてきた、究極の道がある。

「それが、生物学的な力を借りて行われる〝発酵〟です。菌の酵素の力を借りて発酵させると、魚の栄養素が全く別のものに変質します。発酵とは、生物にしか起こし得ない変化なのです。もともとの魚になかった味わいや香りが生まれ、おいしくなる。と同時に、臭いもスゴいことになる。

うわ、クサッ!腐ってんじゃね⁉食べたらどんな感じ?みたいな、怪しいなと思いながらも、食べたいなぁと思わせる要因は、そこにあると思います。腐敗と発酵に境界線はなく、かなり恣意的なものです。コントロールをミスると腐敗になり、成功すれば発酵としてアリになる。発酵とは、唯心論的かつ動的なものなのです」

で、魚である。腐りやすい魚には、様々な雑菌も多い。ゆえに発酵と組み合わさると、「最も謎で、ミラクルが起こりやすい」と小倉さん。

「臭いの観点から言うと、臭気指数に基づく『世界一臭い食べ物ランキング』(引用:小泉武夫著『くさいはうまい』毎日新聞社)というものがありますが、その上位にはスウェーデンの“シュールストレミング”、韓国の“ホンオフェ”、日本の“くさや”“鮒(ふな)寿司”など発酵魚が多数ランクインしています。

そこからもわかるように(もちろん、中には美味なものもあるけど)、発酵魚には決して美味とは言い難い〝エクストリーム系〟も多い。そこには純粋に保存のためという必要性だけではない、文化的な遊びの要素、偏愛を感じずにはいられないのです。極端なものを生み出してしまうアートな世界。奇想天外なものを生み出してしまう遊びの世界。そういった、生存とは相反する世界を呑み込みながら発展してきた発酵魚。でなきゃ、ただ臭いだけの食べ物がここまで生き残ってきたとは思えないのです。人間って、本当に罪深くて遊びのある生き物ですよね(笑)」

遊び心ともったいない精神が、
発酵魚の文化を後押しした。

発酵天国・日本でも、なれずし、大根寿司、フグの卵巣の糠漬けなど古くから発酵魚が多数存在する。

「魚を塩と米飯で乳酸発酵させたなれずしは現代の江戸前寿司の原型とされ、そこに大根の酵素の力も加えて作られた大根寿司も、とても理に適った発酵食品。さらに猛毒のあるフグの卵巣まで発酵食品として食べようとする日本人の探究心には、本当に頭が下がりますよね」

中でも臭い発酵魚の代表といえば、伊豆諸島の特産品で知られる「くさや」。その成り立ちにこそ、発酵魚のもう一つの面白さがあるという。

「くさやって、ホントに臭いと思うんです。“臭い”+“ヨ(新島の方言で魚を指す)”=“クサヨ”が転じて“クサヤ”になったといわれているほど、語源にまでその臭さが染みついている。でも、島の人たちってみんなくさやが大好きなんですよ。新島を訪れた時、どうしてみんな平気で食べられるのか、不思議に思って聞いてみたんです。すると、歴史的に見れば、くさやも最初から臭かったわけじゃない、と。

最初は単純な塩水に浸けた、ただの干物だった。それが謎の微生物の働きにより、何代にもわたって臭くなっていったんだというのです。くさやは長い歴史がある食べ物です。魚の保存性を高めるために、塩漬けにして干したいが、当時貴重だった塩を節約するための苦肉の策として、塩水に浸しておいてから干すという方法を思いついた。しかしその塩水さえもったいないということで、使い回しているうちに魚の成分などが蓄積し、さらに微生物なども作用し始め、現在のようなくさや液になったと考えられています。

でも、それってすごいことだと思うんです。惰性や無精でやり続けた結果、当初の目的から逸脱し、クリエイティブマインドでは生まれ得ないとんでもないものを生み出してしまったわけです。しかも江戸時代、“友からの便りの代わりのくさやかな”と、芭蕉の弟子で江戸で人気の俳詣師・宝井其角が詠んだ歌も残されている。江戸が注目→話題になる→ヒットの予感→貿易品となる→貨幣を稼ぐ手段、と、島の経済をも動かし始めた。

とある貧しい孤高の島から、坂道を転げ落ちるように生まれた臭い魚が、何百年もの時を経てまさか世界へ知れ渡るまでになるなんて、誰が想像したでしょう。“苦しい環境でも、遊び心は忘れません!”的な、発酵を愛する日本人の心には、感動とリスペクトしかありませんね」