イタリアの魅力、その裾野を広げる。今までも、これからも
日本におけるイタリアワイン史を語るうえで欠かせない店がある。2017年、惜しまれつつ18年の歴史の幕を閉じた表参道〈フェリチタ〉。シェフと支配人がインポーターと手を組み、ほとんど価値を認められていなかったワインをいち早く伝えてきたリストランテだ。
その空気の中で育った一人。自分は「裾野を広げよう」と、2010年にカウンター主体のカジュアルな〈クオーレフォルテ〉を開く。29歳の時だ。場所は下北沢。チェーン系の居酒屋が狭い通りに「飲み放題」の看板を出すようなワイン不毛エリアだった。
その後、〈ヴィナイオータ〉代表の太田久人さんのイタリア出張に3度同行させてもらった。自身の“はじまりの一本”、ラ・ビアンカーラの輸入元だ。北から南まで数百㎞の移動と、おびただしい数の試飲を繰り返す旅。造り手の仕事はもちろん、普段着のカメリエーレのさりげない接客や、昼から一人でワインを飲むおばあちゃんの格好良さなどイタリアの景色にも心を動かされた。
「1本2000円のワインがないと潰れるよ」と、地元の人に“助言”されたが、蓋を開ければ1杯1000円のグラスがパカパカ売れた。彼の快活な人柄と勢いもあってか若い世代がカウンターを占拠し、“茶色い白ワイン”を飲んでいる光景は壮観だった。
2年後、地下1階に〈フェーガト・フォルテ〉を開業。店の拡張に加え、ウォークインのセラーを造るのが大きな目的だった。「ゲストの目に触れ続ける場所だから」と、カウンターバックは、イタリアで見たカンティーナよろしく石造りに。セラーには2400本が眠る。気づけば不毛地帯だった街にナチュラルワインを扱う店が増え、若手のつもりでいた自分の周りに、ずっと若い同業者が集まるように。
例えばそんな時、大事に寝かせておいた一本を開ける。かつて修業先の先輩がしてくれたように。場所が失われても精神は受け継がれる。それも、人の手がつなぐワインの力なのかもしれない。