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50sロカビリーブームの始まり。原宿〈PINK DRAGON〉カルチャーの震源地へ Vol.1

ロカビリー、パンク、アメカジ……。今となっては馴染み深い、海外由来のファッションジャンル。それらが日本に根づいた背景には、いつだって初めて取り入れたお店の存在がある。起源を求めて、いざ、“始まりの店”へ。

Photo: Keisuke Fukamizu / Text: Keisuke Kagiwada

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何より客を大事にしたその姿勢が伝説を作る。

かつて渋谷から原宿へと続く細い道は、人間よりも猫の方が多い原っぱだったと聞いたら驚くだろうか。後にキャットストリートと呼ばれるその寂しい道の入口に、マイアミのモーテルを模したゴキゲンな4階建てのビル、〈ピンクドラゴン〉が忽然と出現したのは1982年のこと。

1階にファッションブランド〈クリームソーダ〉のブティック、地下と2階にレストランを備え、内装にもとことんこだわり尽くしたこのビルの“城主”は、すべての店のオーナー、山崎眞行だ。

〈ピンクドラゴン〉外観
屋上には生前の山崎が住んでいたペントハウスがまだ残る。フォーマイカテーブルにビニール張りの椅子など、そこにも50sの薫りが漂っていた。

70年代の日本ではアイビー、つまりアメリカのハイソサエティな大学生たちを真似たファッションが一世を風靡していた。バーを営んでいた山崎が、こうした時流に反旗を翻すべく76年に原宿でオープンしたのが、自身が愛するロカビリーを中心とした50s古着の店〈クリームソーダ〉。

その後、同名ブランドも立ち上げ、油性ポマードやコーム、そして、今もなおシンボルマークであるドクロをプリントしたTシャツや長財布を作ると、アイビーファッションに飽き足らない不良たちが飛びついた。増え続ける需要に応えるべく、終の住処として旗揚げしたのが〈ピンクドラゴン〉にほかならない。

2階のレストランスペースで催されたオープニングパーティでは、絶頂期にあったアン・ルイスや、店員たちによって結成された伝説的ロカビリーバンド〈ブラックキャッツ〉の演奏が行われたという。

このとき山崎が重視したのは、マスコミや業界関係者よりも、ブランドのファンをこそ招くこと。客との関係を何より大切にし、どれだけ時代が変わろうとも、愛する50sロカビリースタイルを貫く。そんな姿勢こそが、今もなお当時の客が、時には子供を連れて訪れる理由に違いない。

現在は1階のブティックのみの営業であるが、店先には創業当時からのスローガン“Too fast to live, too young to die”が掲げられている。その言葉通り、〈ピンクドラゴン〉若くして死なず、不死鳥となったと言える。これからも変わることなく、ファッションタウンとなって久しいこのエリアを、鮮やかなネオンサインで照らし続けていくのだろう。

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