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思い出の本棚と、あの1冊。アーティスト・布施琳太郎

幼き日に読書の扉を開いてくれた家族の蔵書に、憧れの書店や旅先で偶然出くわした書棚まで。今の自分を形作った、忘れることのできない本棚の記憶と、 そこに並んでいたある1冊について、アーティスト・布施琳太郎がエッセイをしたためた。

本記事は、BRUTUS「理想の本棚。」(2024年12月2日発売)から特別公開中。詳しくはこちら

illustration: Akiko Maegawa / edit: Emi Fukushima

旅先の巨大な本棚と、置き忘れてきた短編集

本を読んでいると遠くに行ける。海底から宇宙、そしてヨーロッパの魔法学校まで。もちろん過去にも未来にも、どこまでも行ける。そこには未知の世界がひろがっているし、それを手のひらに収めることができてしまう。

ところで、僕の両親は車で旅行するのが好きだった。だから小学校の長期休暇のときは、いつも後部座席に小さく座りながら本を読んでいた。揺られながら読書しても不思議と酔ったりしない子どもだった。本を読んでいると山を越えて知らない街につく。

「本を読んでいると遠くに行ける」。先ほど僕はそう書いた。それは本のなかに別世界がひろがっているという意味だけではなく、本を読んでいると、このからだが、いつのまにか遠くにたどりついているという幼少期の記憶のことでもある。僕にとっての読書とは二重の旅なのだ。こころもからだも遠くに行ってしまう。家族旅行の目的地である東北と、海の向こうの異国で書かれた動物記が、同時に、旅へと誘っていく。

本の魅力を「手のひらに収めることができる旅」だとするなら、ほとんどスマートフォンの説明と一緒なのだが、そんな疑問にこたえる体験は、ひとつの本棚の記憶だった。

石川県金沢市、そこには「芸宿」と呼ばれるアートスペースがある。金沢美術工芸大学の学生が中心となって十年ほど前に立ち上げた場所で、一度の引越しを経て、現在は地下駐車場の上の二階建ての古びたアパートが芸宿と呼ばれている。そこには展示用ギャラリーや若者たちの暮らす部屋などがある。アートのアジールのような場所だ。そして芸宿の101号室には、巨大な本棚に囲まれたようなキッチン兼リビングがある。

自分自身も学生だった頃、旅費を浮かせるために泊めてもらったのが芸宿との出会いだった。そしてその後は、トークをさせてもらったりしつつも、毎年のように遊びに行ってきた。

一昨年、友人の吉田山さんと一緒に『タイトル未定』というトークイベントを行った。時間経過とともに101号室のなかで増殖して巨大化しつづける本棚に「勝手に名前をつけよう」というお節介な催しだ。お酒を酌み交わしながら楽しく話をした。

東京で暮らす僕にとって、金沢に行くことはやはり「旅」である。だから本を持ってきていた。しかし友人との旅で長編は読めない。カバンに入れていたのは遠藤周作の短編集『母なるもの』である。日本社会におけるキリスト教受容について思考した遠藤は、奇妙な信仰の形式として、十七世紀の隠れキリシタンを描いた『沈黙』で有名だ。そして母性において、キリスト教受容を描いたのが『母なるもの』の表題作だ……と思う。

というのも、この本を芸宿に忘れてきてしまったのだ。だから内容は正確にはわからない。本は旅に連れ添ってくれるのだが、忘れてきてしまうことができる。手に収まるというのは遺失物になりえるということなのである。それはスマートフォンとは違う。僕の忘れた本は、いま、顔も名前も知らない若者が手に取って読んでいるかもしれないのだ。芸宿で暮らす人々は繰り返し世代交代してきた。そこには忘れられた本が沢山あるのだろう。

金沢美術工芸大学の学生や卒業生らが共同生活する「芸宿」101号室に巨大な本棚が鎮座。“アノタナ”という名がつけられたそう。
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