橋本一彦
山田さんのお店に初めて伺ったのは15、16年前。まだ学生で、地元の北海道に住んでいた頃です。
山田正春
こんなに近くでお店をやることになるとは。ご縁だよね。
橋本
今はあまりビールの店に行かなくなってきているんですが、山田さんの店には寄りたくなるんです。最近、次々に出てくる新しいブルワーやスタイルを追いかけることに、情熱を燃やせなくなったというか。斬新なものや個性的なものもあるけれど、5年後、10年後はどうなっているだろうか、とか。僕が店を始めてからの9年で、ビールを取り巻く状況が劇的に変わったので。
山田
なるほど。
橋本
そういうとき〈ボア・セレスト〉さんに伺うと、毎回ビールの状態や味は素晴らしく、ビールごとの温度管理やグラスの提案も徹底されていて。造り手の歴史や産地の話も伺え、いろいろ腑に落ちるんです。
日本のベルギービールと本国のビールスタイル。
山田
私はたった3銘柄で店を始めたんです。うちより2年前に、神保町の〈ブラッセルズ〉がオープンしているんですが、やはり最初は2、3種類しかなかった。今や近所のスーパーで1本¥300で売ってるアンディーヴが、¥2,000もしてね。それくらい、ベルギーの酒も食材もなかった時代。
橋本
〈ブラッセルズ〉は、今はインポーターとしても有名ですよね。
山田
初めてベルギービールを飲むお客様の反応はいろいろだったけれど、飲んですぐ「おいしい!」って人はほぼいなかった。ランビックなんか「腐ってる」なんて言われたり。
橋本
想像がつきます(笑)。でも、店を作ろうと思われたのは、現地で飲まれたビールがおいしかったからですよね。
山田
ラガーで比べても日本のものより味が深かった。ある人たちは朝から飲む、昼は当然飲む。今でこそ、ベルギービールといえばランビックという人も増えたけど、生産・消費量はベルギーのビール全体の2%にも満たないんですよ。
橋本
ベルギー人で知らない人は多いと言います。
山田
そんな調子で、最初は手に入るものをとにかく全部仕入れていた。でも10年ちょっとで信じられないくらい増えた。〈デリリウム〉(ベルギーの醸造所)公認のカフェができた2008年から数年がピークかな。いわゆる「ベルギービールブーム」。でもすぐ下降線を描き始める。
橋本
アメリカンクラフト、そして日本のクラフトビールの台頭ですね。
山田
そもそも「ベルギービールファン」の中にも、疑わしき人がたくさんいた。つまりコレクターね。
橋本
嗜好品の宿命でしょうか。でも「やっぱりベルギーだよね」と、戻ってくる人もいましたよね。
山田
むう、どうだろう。
橋本
僕自身がそれに近かったので。最初は「シメイ」に感動して、スタウトからアメリカンに入って、IPA、インペリアルスタウトと興味が移っていく。年齢的に酒も飲み始めた頃だし、仕事も駆け出しで、インパクトのある味ばかり求めて。
山田
それはそうなるよね。
橋本
でも一通り飲んで、改めてベルギービールに向き合うと、特別なものを感じたんです。新鮮であり、戻るべきところに戻ってきた感もあり。モノとして格が違うよな、と。
山田
橋本さんにそう言ってもらえると嬉しいなぁ。
橋本
おいしい、おいしくないという、味のスペックを超えた、必然から生まれた唯一無二感を覚えるものが多くあるように思えたんです。
山田
ベルギー国内のビール生産、消費スタイルも、2000年前後を境に大きく変わっている。きっかけはアメリカのクラフトビールブーム。アメリカ市場でどんどん買ってくれるもんだから、造り手も増えて。2年前、初めて現地のビアフェスに行ってみたんだけれど、知っている蔵は2割。これはおいしい、と思えるものはさらに少ない。アメリカに媚びた味ばかりで。
橋本
つまりホップが前面に出すぎている、と。
山田
そう。「麦の酒」と書いてビール。ビールのおいしさを決めるのは麦。モルトが味の骨格を作る、というのが私の持論ですから。
橋本
ここは山田さんと意見が違うところなんですが、僕はイーストも大事だと思っています。今、スターブルワーがレシピを公開していて、原料を揃え、手順を踏めば誰もがそれなりにおいしいものを造れる。でも、パッケージだけ違って味は大差ないものも多い。その点、ベルギーの伝統的な醸造所は、蔵ごとの酵母を持っているじゃないですか。それは違いが出るなと。
山田
イーストは難しいんだよな。造り手も「秘密」なんて言う人がいる一方、実は秘密なんてないんじゃないかと思う人もいて(笑)。
ベルギーインスパイア、南半球の次世代ブルワー。
橋本
今日は山田さんに飲んでいただきたいビールがあって。店に来ていただいただけで、恐縮なんですが。
山田
想像以上に素敵なお店だよ。
橋本
これはオーストラリア、メルボルンの〈ラ・シレーネ〉という造り手のセゾンスタイル。ステンレスと木樽、半々で仕込み、木樽の方は、オープン・ファーメンテーション(蓋を開けた状態での発酵)です。現代の都市型ブルワリーでは表現しにくい“季節感”を発酵時、空気に触れさせることで取り込んでいる。
山田
これは、今までに飲んだことがない味だよ。モルトが伝わりにくい気はするけれど。
橋本
量は少なくないですが、前面に出にくいんですよね。
山田
しかし、これは飽きない……。なんとも、ゆかしい味だ。
橋本
うれしいです。僕も飲んですぐメルボルンへ飛んでいったくらい感銘を受けたので。酵母はベルギーの蔵から譲り受けたものがベース。繰り返し使いながら、「だんだん自分の味になってきた」と、話していました。僕が考える、伝統製法の再解釈に近い味。こういうビールに出会うと、また山田さんのお店に答え合わせに伺いたくなるんです。