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オーイシマサヨシの100回でも観たいアニメ映画『耳をすませば』

あのセリフや作画を味わうためにじっくりと、あるいは日常の合間に“ながら見”で。好きな作品は何度でも観たくなるものです。「一番たくさん観たアニメ映画」を、オーイシマサヨシさんに語ってもらいました。

text: Emi Fukushima

表現の仕事をし続ける限り欠かせない“バイブル”

もの作りや表現することへの初期衝動が詰まっているのが『耳をすませば』。『風の谷のナウシカ』や『天空の城ラピュタ』など、ファンタジー作品の印象が強かったスタジオジブリがはじめて真っ直ぐな恋愛作品を作ったと知って、高校生の頃に興味が湧いて映画館へ観に行きました。

でも観終えた後に心に残ったのは、恋愛のほろ甘さではなく、“自分は今のままではダメだ”という焦燥感。すぐに家に帰って衝動的に曲を書いたことを覚えています。特に心に刺さったのが、物語を書き上げた雫がこぼす「分かったんです。書きたいだけじゃダメなんだってこと」のセリフ。

好きなだけでなんとなくバンドを組んだり曲を書いたりしていた当時の僕に、音楽であれほかのジャンルであれ、自ら積極的に多くを勉強する大切さを気づかせてくれました。当時この作品に出会わなければ、プロのミュージシャンとしての今の自分はいないかもしれませんね。

繰り返し観て実感した、“圧倒的描き込み”が生むリアリティ

以来、制作に行き詰まったときや心を奮い立たせたいときに観直すバイブル的存在なのですが、観るたび、作品の中に新たな凄みを発見することもあります。例えば最近気づいたのが、この作品がとてつもないリアリティを持っていること。多摩ニュータウンの街並みの描写だったり、団地に住む家族の会話劇だったり、ディテールの表現に惚れ惚れしてしまいます。

冒頭のシーンで、帰宅した雫に、お母さんが「またビニール袋?牛乳一本なのに?」と声をかけるシーンがあります。それに対して雫は「だってくれるんだもん」と返す。すごくささやかな掛け合いだけど、誰もがどこかで交わしたことがありそうな日常の“あるある”ですよね。

こうした描写が随所にちりばめられているところが素晴らしいです。そして、そのリアリティを支えるのは描き込みの細かさ。背景まで続く驚くほどに緻密な世界が、CGではなく手描きのセル画によって表現されていると考えると、その途方もなさにゾッとします。

現在の最新鋭のデジタルにも引けを取らず、いつまで経っても古さを感じないのは、作り手たちがとんでもないカロリーを使って丁寧に作品を作ったからなのでしょう。

才能が重なりあって生まれた、妥協のない表現

またもう一点驚くのが、この作品が、監督の近藤喜文さんと脚本を担当した宮崎駿さんを中心に、原作の柊あおいさん、雫が描く小説の空想世界を描いた画家の井上直久さんら複数の天才が集結した稀有なコライト作品であること。とんでもない天才たちが、決して妥協ではなく認め合って一つの作品を形づくっているところが尊いなと。

僕自身ミュージシャンとして、自分の知らない世界を知っている他のクリエイターと交わって新しい作品が生まれる喜びを感じられるようになったのも、実はこの作品の影響なのかも。自分がクリエイターである限り観賞回数も更新され続けるであろう、他には代え難い大切な作品です。

『耳をすませば』場面シーン
読書好きの中学3年生・月島雫は、図書館の本の貸し出しカードをきっかけにバイオリン職人を目指す少年・天沢聖司と知り合う。ひたむきに夢に向かう彼に影響を受けた雫も、本を読むばかりでなく、自ら物語を書こうと決意する。1995年/監督:近藤喜文
©1997 Studio Ghibli・ND