「祖母が愛したレシピで、祖父のために作りました」
「楽しく生きるには甘いものがなくちゃって、祖父は言うんです。今もおやつは必ず。テレビの美術番組に棒付きの飴玉を舐めながら出たこともありました」
ぽってりと黄色っぽいカスタードをシュー皮に絞りつつそう話すのは、手作り菓子店〈hana〉の丸山祐子さん。“祖父”というのは染色家・柚木沙弥郎さんだ。画家の家に生まれ、20代で民藝運動の染色家・芹澤銈介に師事した柚木さんは、型染めの技法で多くの作品を制作。2019年秋にはパリへ出かけて個展を開き、20年は東京や松本で新作を発表するなど、いつでも自分の目と足で面白いものを見つけ、創作を続けている。
そんな柚木さんが愛してやまないのがカスタードのお菓子。丸山さんいわく、「20年前に亡くなったおばあちゃん(柚木さんの妻)が、よくシュークリームやクリームホーンを手作りしていたんですって。シュークリームは他所への手みやげになることも多く、そういう日は沙弥郎も子供たちもがっかり……なんていう思い出話を、沙弥郎の娘である私の母に聞いたこともあるんですよ。おばあちゃんは雑誌の『婦人之友』を愛読していたので、今日はその頃のレシピでカスタードを作り、祖父に贈ろうと思ってます」。
参考にしたのは、丸山さんが小さい頃におばあさんからもらったお菓子の本と、婦人之友社の古い料理本。
「今どきは卵黄だけで作るカスタードが多いようですが、当時のレシピを見るとプリンはたいてい全卵。シュークリームも、皮は全卵+卵白、カスタードを全卵+卵黄で作るという具合に、材料を無駄なく使い切っていたんです。生クリームを入れない昔ながらの素朴な味。どちらもとろんとした食感ではなく、ちょっぴり硬めですね」
こうして出来上がったシュークリームとプリンを漆のお重に詰め、柚木邸を訪れた丸山さん。“お三時”には少し遅い時間だけれど、柚木さんは重箱を覗き込んでうふふ……と笑い、「コーヒーだね、淹れてちょうだい」と楽しそうだ。
「僕が子供の頃は、母が〈コロンバン〉という店の講習で習ったアップルパイや何かを焼いてくれて、必然、僕も姉も兄もうちで作るお菓子が好きでした。朝ご飯の時は、父が淹れたコーヒーをもらってミルク入れて飲んだりしてね。昭和5年、つまり1930年頃だから不況のさなかのはずだけど、両親のおかげでそれを感じないで過ごしてたな」と、まずはプリンをひとすくい。
「甘いものは簡単に言うと、幸せだね。しょっちゅうしょっちゅうじゃ困るけど、食事の後なんかにやっぱり欲しいじゃない。僕の妻もよく作ってくれて、夕飯が済むと“お食後”って出してくるの。お食後よって。子供たちは皿にのっけてもらうのを待ち構えてて、あっちが大きい、こっちが小さいって言い合うんだ」
「たっぷりのカスタードがあれば、人生は幸せだね」
「シュークリームもいただきましょうか」とテーブルに手を伸ばす柚木さん。取り分けた皿ごと目の前に掲げ、横から斜めから、じっくりと眺め回している。「町で売ってるのとは顔が違う。クリームが外にはみ出してるよ」
シュー皮の上だけを指でつまんでそっと剥がし、「クリームがこぼれちゃわないようにね、てっぺんの皮ですくいとって食べるのよ。お行儀が悪いけど、人が見てなきゃ大丈夫。……ほら、おいしい。世の中にない味だ。おせじ抜きでおいしいね。店で売ってるとろとろのクリームもいいけど、こういうしっかりしたのが、僕は子供の時からの馴染みなんだ」。
好きだったあのカスタードの甘さと舌触りを、目を細めながら味わっている。その様子に表情を緩めた丸山さんも、「祖父がよく口にする、“面白いことは、そこにある”という言葉が私は大好きなのですが、プリンもシュークリームも、そこにある幸せですよね。家の鍋とオーブンで作って、好きな人と一緒に食べることができたら、それが一番」。
ところで、カスタードは家族の味だと話す孫にうんうん頷いていた柚木さんが、突然こんなことを言いだした。「このシュークリームは〈hana〉で売ってないの?お店に出して、みんなに食べてもらったらいいよ」
大好きなおじいさんの提案だもの、もちろん販売することに。
「だってクリームたっぷりだからさ。でも、こんなにうれしいのに、食べるとなくなっちゃうんだ。それがせつないね」