業界随一の目利きの信頼を得、最高の素材を、丁寧に調理する
「想像を絶するおいしさです」というLINEが届いた。前日、〈洋食おがた〉シェフの緒方博行さんから、肉の目利きと“手当て”(熟成をかけること)の技術に定評のある滋賀・南草津の精肉店〈サカエヤ〉に出かけたと聞いていた。熊本のあか牛の色々な部位を半頭分購入し“手当て”を依頼し、ミンチだけ持ち帰った。LINEは、そのミンチで作ったハンバーグの味わいについてである。
翌日、新旧のハンバーグを食べ比べることになった。緒方さんの言葉がズシンと響いた。いわゆる肉汁が溢れるタイプではない。しかし口の中に入った瞬間の香りが一気に胃袋を掴む勢いなのだ。咀嚼(そしゃく)すると肉の味わいがどんどん増してゆく。はっきりと違いが分かる。
それまでの〈洋食おがた〉のハンバーグも見事だったが、素材によってここまで変化するのかという驚きが鮮烈であった。緒方さんは、あか牛を扱うようになり牛肉に対する考え方が変わったという。「〈サカエヤ〉の代表の新保吉伸さんが、“味が抜けている”という表現をされていたのですが、ようやくそれが分かるようになりました」と述懐する。
ビーフシチュー然(しか)り、ビフカツ然り、その凝縮したうま味の結晶には、喉を通る快感を覚えるようになっていった。緒方さんは新たな冷蔵庫を仕入れ、保存にもより神経を巡らすようになった。
〈洋食おがた〉は洋食店なので肉類に対する思いが深いのは当然のことなのだが、ここでは魚への評価もすこぶる高い。その代表格がアジフライである。アジフライを食べたほとんどの人は、そのレアな仕上げに驚愕し、味わいに心を奪われる。中心部が半生状態のその姿は、まず視覚に訴える。味わうとアジの持ち味が口中で暴れ回る。そしてみるみるうちに余熱で色も味も変わってゆく。
このアジフライの誕生にも裏話がある。「静岡の〈成生〉という天ぷら屋さんで、アジの天ぷらを食べた時の衝撃を再現できないかとやってみたのです」と緒方さん。それがSNS経由で〈成生〉が扱う静岡・焼津(やいづ)の〈サスエ前田魚店〉の前田尚毅さんの知るところとなり、関係が始まった。ある時、前田さんがアジなど数種の魚を事前に送り、〈洋食おがた〉を訪れた。
緒方さんの仕事ぶりを間近に見た前田さんにもスイッチが入り、毎日のように電話で会話を重ねた。前田さんが送る魚の種類がどんどん増え、状態の良いものが〈洋食おがた〉の厨房に届くように。緒方さんは前田さんから届く魚の状態を見てから調理法を考えるようになる。そこには常に真剣勝負の気合が生まれる。
ミシュラン二つ星の割烹の主人が、「洋食屋さんで、こんな魚使わんとってほしいわ」と感慨深げに漏らしたこともあるほどだ。
野菜についてもしかり。京都・伏見の〈ヤマダファーム〉から届く、無農薬の伝統野菜や西洋野菜で作るサラダも白眉だ。ロースト、ピクルス、出汁(だし)で炊いたもの、グリル、スモークなどそれぞれの野菜に合う調理法を施し、味と食感の多様な一皿に仕立てる。
緒方さんがすごいのは、手にする素材のレベルが上がると、呼応するように料理に向かう思考も変化することだ。例えば、牛肉は〈サカエヤ〉から骨つきで仕入れるので、骨や筋はデミグラスソースなどにも使い、牛脂はサラダのポテトやタマネギのローストに使うなど余すところなく使い切るという発想が生まれる。
締めにカレーライスを注文する客も多いが、食べる側の体を気遣って、ルウには米粉と血糖値の上昇を抑える菊芋パウダーを使う。素材への飽くなき探求心こそ緒方さんの真骨頂である。また、スタッフの将来にも気を配る。フランス料理の心得がある緒方さん、その技法を伝えるために最近はパイ包み焼きなどの料理もメニューに加えた。飲食業がどうあるべきかをいつも考えているということなのだ。
現在食の業界では、前述の新保さんや前田さんのような、生産者と料理人をつなぐ目利きの存在価値が非常に高まっている。なかでもこの二人は肉と魚の両巨頭という位置付け。そのような二人と密にコミュニケーションをとり、素材の供給を受ける料理人は稀だ。二人が緒方さんの洋食料理人としての姿勢を信頼し、共感している証にほかならない。