酒場で出会い、酒縁を紡ぐ。その素晴らしさを学んだのはこの街
冠番組『吉田類の酒場放浪記』で、放送開始以来訪れた酒場の数は、13年間で700軒超!東京の名だたる商店街の酒場は、ほぼ飲み尽くしているであろう吉田類さんに、「酒場が楽しい商店街といえばどちらでしょう?」と問うたところ、迷わず「中野」とのお答えが。そこで、2016年7月のある日、中野駅の北口エリアの飲み屋街で、類さんとハシゴ酒と相成った。
最初に訪れたのは、14時に開店する〈第二力酒蔵〉。界隈にはあまたの酒場があるけれど、こちらの魅力は「お酒も料理も安心していただける、気取っていないけれど折り目正しい雰囲気ですね」。店内中央にある小さいカウンターに陣取って冷酒を傾け、瑞々しい水なすにかぶりつくと「ああ、やっぱり中野は落ち着くなあ」。
聞けば類さん、20代の頃に中央線沿線に住んでいた時期があり、飲むとなれば中野に繰り出していたそう。「若い時は4〜5軒飲み歩くのが当たり前でしたね。1人で来ても誰かしら知り合いと会うから、結局一緒に盛り上がっちゃって、終電を逃して中野サンプラザの上にあるホテルに泊まったこともあったよ(笑)」
自宅の最寄り駅の商店街にも酒場はあるのに、圧倒的に中野に親しみを感じた理由は「この街には、よその土地から来た人間も受け入れてくれる、開かれた雰囲気があるんですよ」との答えが。
第二力酒蔵(だいにちからしゅぞう)
懐深き、中野を代表する大衆酒場
白い暖簾(のれん)をくぐって中に入ると、視界に飛び込んでくるのはカウンター上に張り巡らされた品書き。自慢の鮮魚料理がずらりと並ぶ。広く明るい店内で、老若男女が、手のかかった肴と酒とを楽しめる極めて健全な酒場だ。創業は昭和37(1962)年。
ベテランの店員さんによる客あしらいも見事で「お酒を飲まないと病気になっちゃうんですよ」と言う類さんに、店長が「1週間に8回来ていたもんね(笑)」と軽妙な切り返し。昔も今も、類さんが酒場を愛していることが伝わってくるやりとりだ。
中野の開かれた雰囲気の源はどこにあるのか。〈第二力酒蔵〉の2軒隣にある〈煮込み屋ぐっつ〉に河岸を移して尋ねてみると「戦後の東京の闇市といえば新宿が発祥、とされているんだけど、その当時の様子を記録した写真集などを見ていると、実は中野の方が少し早く市が立っていたようなんです。
旧日本陸軍の敷地に米軍が駐屯していたこともあって闇市は賑わい、その闇市が現在のアーケード〈サンモール〉や、今いる北口一帯の商店街のベースとなって、街は復興・発展を遂げた。おそらくそういう成り立ちが、外から訪れる人に対するウェルカムな空気につながっているんだと思いますね」。
そうした、街が形作られるまでのエピソードを知ったうえで歩いてみれば、なるほど、視点が少し変わる。「中野に限らず、僕は街歩きをする時は、そこの歴史や昔の地形を、調べてから行くんです。商店街も、昔と今とでは様子が変わっているところがたくさんあるから、あらかじめ知っておくと、より楽しめる」。
ワインを片手にもつ煮込みをつつきながら「戦後まもなく、東中野にあった肉屋さんがもつ焼きを売って、それが評判を呼んだらしいですよ」なんて逸話を聞けば、目の前のもつの味わいも深まるというもの。
煮込み屋ぐっつ
煮込み+ワインで楽しむ洋風居酒屋
ぐつぐつ煮込んだ料理が主役の店だから“ぐっつ”。もつを筆頭に牛タンやホホ肉、タコ、豆腐などの各種煮込み料理のほか、気の利いた酒のアテから、ボリュームありの鉄板料理や揚げ物、〆のご飯や麺類まで、なんでもござれのラインナップ。アルコール類は、特に値頃感のあるワインに力を入れている。
類さんも煮込みのお供に白ワインをチョイス。「フランスに住んでいた頃はシャルドネをよく飲んでいましたよ」とゴクゴク。店内は、1階はカウンター席中心で、2階はテーブル席。
このあたりで、少し周りを見てみましょうか、と表へ。細い路地が入り組むゾーンへと歩を進める。狸小路、白線通りといった名がついた通りそれぞれが商店会を形成しており、北口だけで13の商店会があるというから、商店街の集合体のような街なのだ。
5分ほど歩いた先で立ち寄ったのは、これまた古くからの飲み屋やスナックが軒を連ねる、昭和新道商店街。ここで、ソースの焼ける良い匂いを漂わせる小さな店が。実は焼きそばが大好き、という類さんは、こちら〈中野やきそば処 小出屋〉に寄り道。
気軽な店構えでありながら、味は本格的。「良いおうちの焼きそば、とでも言い表したい、上質なものを使っている味がするね!」と太鼓判。店の前で舌鼓を打っていると、「え、あれって吉田類じゃない⁉」と驚きながら通り過ぎる人続出で、類さんの人気の高さを目の当たりにする一幕もあったり。
中野やきそば処 小出屋
焼きそば=ジャンクにあらず!な、本気の専門店
商店街の雰囲気に溶け込んでいるこちらのお店、古顔かと思いきや、2015年12月にオープンしたばかり。「ジャンクなイメージを抱かれがちな焼きそばを、安心して食べられる素材だけを使って、小さなお子さんにも食べてもらえるものにしたい」という志のもとに誕生した店なだけに、モチモチ食感の麺は北海道産小麦100%。独自にブレンドしただし粉の旨味を利かせ、ソースはあっさり控えめに仕上げている。
こちらの店舗はテイクアウトのみだが、中野ブロードウェイの地下に、イートインスペースのある支店がある。
さて、お腹も落ち着いたところで、喉も渇いたことですし、と、焼きそば店と目と鼻の先にある〈パニパニ〉へ移動。ここは類さんも何度か訪れていて、気心知れているという立ち飲み店。カジュアルな業態で客層も若いお店だけに、類さんが入るや否やお客さんから歓声が。まるで『酒場放浪記』そのままに、乾杯やツーショット撮影が始まり……と、一気にフレンドリーな雰囲気に。
店のオーナーの長谷部智明さんは、商店会長としても活動していて、中野の移り変わりをよく知る一人。「昔、このそばに〈山原船(やんばるせん)〉という伝説的な飲み屋さんがありましたが、そんな思い出を語り合える人も、もう類さんくらいしかいらっしゃいませんね」。そして類さんも「今や新宿ゴールデン街や昔ながらの横丁は、日本を訪れる外国人にとって人気スポット。ツアーに組み込まれていなくても、自力でやってくる。
この商店街も彼らに魅力的に映るはずだから、長く続くお店も、〈パニパニ〉のような若い人に愛される店も、末永く共存してもらいたいね」。古き良き酒場や商店街の景色が続くことを願う気持ちは、どの街にも共通するものだろう。
パニパニ
ポップなノリが人気、街の10年選手
「こちらのお店が開店して間もない頃に、テレビ番組の収録でこのあたりを飲み歩いている時に、ふらりと入って以来のお付き合いですね」と類さん。
オーナーの長谷部智明さんは、店がある昭和新道商店街の会長も務めている、街の盛り上げ役。ゆえに、店は早い時間から常連客を中心に賑わっているが、オープンな雰囲気だから一見でも入りやすい。焼きたて餃子、チーズのオムレツなどのツマミと、シークワーサーを使ったパニパニサワーなど、オリジナルのドリンクが充実。
さて、夜の帳(とばり)が下りてきたところで、そろそろ〆の一杯をいただきましょうか。「中野といえば、僕にとって絶対に外せないのは〈路傍〉です」という類さんに導かれ、再び白線通りを目指す。
30代で訪れて以来、折に触れ立ち寄るというこの店は、自然を愛するご夫妻が営む小さな酒亭。お2人も類さんも渓流釣りが趣味とあって、注文もそこそこに釣り談議に花が咲く。「イワナをカラリと焼いて作る骨酒(こつざけ)が最高なんです」と、相好を崩す類さんの表情からも、気のおけない特別な店であることが伝わってくる。
骨酒を味わいつつ、類さんが一言。「僕が今、酒場の魅力を語ったり綴ったりしているのは、思えば、若い頃に中野の商店街で飲み歩いて酒場の持つ温かさに触れたことが原点だった。この店で飲むと、それを再認識しますね」
路傍
自然と酒とを愛する人々が集う場所
始まりは、現在の店主・関本芳明さんのお母さんが新宿で営んでいた店を、昭和36(1961)年に中野に移転。以来、街の変遷を見つめている。
品書きは、季節の新鮮な野菜や、関本さんご夫妻が渓流で釣った魚などを炭火で焼いたものが中心。独特な“Jの字形”カウンターや、煉瓦組みの囲炉裏(いろり)、モノトーンでまとめられた店構えは、シベリア抑留を経験したデザイナーによるもので、当時としてはアバンギャルドな空間だったそう。類さんいわく「ここのお客さんは、料理や酒もさることながら、関本さんご夫妻との会話を楽しみにやってくる、いわば“夜の家族”なんです」。