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「画集は開くが、本なんて読まない」。本が苦手な横尾忠則の本棚と読書論

美術家・横尾忠則さんのアトリエ。2025年の展覧会用の大きな絵画、床には絵の具が散らばり、積み上げられた本の山。背後は壁一面本で埋め尽くされている。しかし横尾さんは開口一番「画集は開くが、本なんて読まない」と言う。本が苦手な人必読の読書論。

photo: Taro Hirano / text: Keiko Kamijo

本はイメージ。物質感を味わう本棚

アトリエの扉を開けると、薄暗い空間にずらりと並んだ本が出迎える。本棚の中にはピカソやキリコといった画家たちの伝記や画集、写真集、泉鏡花や谷崎潤一郎といった文学作品、フェリーニやヒッチコック、黒澤明の映画論、宇宙やオカルト、神秘主義、仏教書、哲学書、新書……。新刊も古書も区別なく、ぎっしりと棚に収まる様子は、まるで一風変わった古書店に紛れ込んだかのようだ。

奥の天井が高く自然光の入る部屋が、横尾の制作場だ。壁の一面は本棚で覆われ、床にも本が積み上がる。

美術家・横尾忠則の本棚
近所の大工センターで組み立て家具を買ってきて設置。この部屋にあるのは基本画集や自身の作品集であり、制作の合間に眺める。

「置く場所がないから置いてるだけでね、読むために置いてるわけじゃないんです」と横尾さん。
実家には一冊も本がなく、両親から読書を勧められたこともない。小学校に上がる前から絵を描くのが好きで、絵本の模写に熱中、読書には無関心な少年時代を送った。

「一〇代の頃ぼくの中で絵と読書は水と油みたいなもので相対関係にありました。絵は感覚的で肉体的で遊びと考え、読書は観念的で精神的で学問だと思っていた」(自著『言葉を離れる』より。以下同)。本格的に本を読みだしたのは、グラフィックデザイナーとしての絶頂期から突然画家宣言をした45歳の時だ。

「絵を描き始めたのも独学でしょ。グラフィックと美術は全然違うんですよね。だから美術を勉強するために、美術関係の本を読み始めたんです。でもほとんどが画集。自分が絵を見て、自分の考えで批評することに興味があって、美術評論家が書いた文章にはそんなに興味なかったの。だから、絵を描くことと読むことがほとんど同時になったのかな。

それ以前はね、はっきり言って、本は必要なかった。むしろ邪魔になっちゃってね。肉体で体験する、その経験の方が重要でしょ。だから大勢の人に会って話を聞いたり、その人の生活を見たり、人物に直接触れて、自分が感じることをビジュアルに作品にしていけばいいわけだから。一般的に知識と教養は必要だなんていわれてるけど、本に書いてあることって他人が経験した言葉でしょ。独自の考え方、生き方をしたいんだったら、やっぱり自分で体を通して体験して、自分で感じることが大事だと思う」

美術家・横尾忠則
「僕とウォーホルが並んでるのがいいんじゃない?」と撮影時にアイデアが飛び出す。磯崎新が設計したアトリエで。

5歳より前から模写を始め、対象をよく観察し忠実に模倣することで、作者の魂に触れる。作者と一心同体となって作者の魂に触れる模写という行為は、横尾少年にとって読書のようなものだったという。

中学生の頃の横尾は、挿絵家に憧れた。江戸川乱歩と南洋一郎の小説に出会ったのも、挿絵に惹かれたからだと述べている。読書に慣れていない少年は、意味のわからぬ漢字に苦戦しながらも物語へと没入した。

「この二人の小説家によって、ぼくの内なる怪奇と冒険とロマンが未知なる世界への憧憬の扉をこじ開けて空想の王国に魂に羽を付けて飛ばしてくれたのです」(前出)

しかし、熱中したのは一時期。再び読書とは縁のない生活を送る。模写への興味も薄れ、油絵を始めた。その後の人生を左右するといわれる10代を通して、読書ではない肉体的な体験から何かを学んできた。そして、あらがうことのできない運命的な導きによってグラフィックデザイナーとなった。

人生に大きな影響を与えた人との出会いも一冊の本からだった。「霊性」という言葉を教えてくれ、精神世界への扉を開いた三島由紀夫である。

「結婚した時は、家に一冊も本がなかったんですが、ある日、妻が会社の図書館から借りてきた『金閣寺』が置いてあった。何日も。これは“読め”ということなのかな?とプレッシャーにも感じて、恐る恐る手に取って読み始めたら、漢字は読めないし、書いてあることは難解で意味がわからないし、ものすごくしんどかった。1週間くらいかけて読んだけど、内容はわからなかった。だけど、それがきっかけで三島由紀夫という人物に対して関心を持つようになったんです」

その後、日本デザインセンターへ入社し上京。当時コピーライターだった詩人・高橋睦郎の仲介で、三島由紀夫と出会い、彼の著作の挿絵や装丁を手がけ親交を深めることになる。

本はイメージとして所有する。背を読み、愛でる本棚

「僕の趣味は読書ではなく買書だ」と横尾さんはたびたび発言している。本を買うことも読書の一つなのだ。

「料金を払って所有することでその本のイメージを買ったのです。買うという行為を通さなければ、読書の入口に到達したことにならないのです。本を手に取って装幀を眺めたり、カバーを取り外したり、開いた頁の活字に目を落としたり、時には匂いをかいだり、重量を感じたり、目次とあとがきと巻末の広告ぐらいは読みます。そして本棚に立て、他の本との関係性を楽しんだり、その位置を換えてみたりしながらその本を肉体化することで本に愛情を傾けていきます」(前出)

なるほど、今回選んでもらった本がどれもずっしりと物質感のあるものだということもうなずける。中のページに並んだ活字を追うばかりが読書ではない。表紙の厚紙、中面の紙の質感、物質としての佇まい、インクの匂い、そして印刷されてある活字や絵、そうした要素すべてが一冊に編まれているものが本なのだ。

ブックデザインを多く手がける横尾さんらしい読書法である。撮影の際も、気に入っている本が本棚のどの位置にあるのかをすぐに探し当てる姿に、膨大な本とともに過ごしてきた時間が垣間見えた。