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大谷能生がピアニスト・山下洋輔に聞く、フリージャズの楽しみ方

1969年、新宿のジャズクラブ〈ピットイン〉で、日本にフリージャズ旋風を起こすことになる〈山下洋輔トリオ〉が誕生した。以来、自由で激しくてチャーミングな音を、時に肘で鍵盤を叩く“肘打ち”も交えて弾き続けているのが山下洋輔だ。旋律やリズムなど既成のルールから離れ、自由に即興的に奏でるフリージャズ。その入口を作った巨匠に、音楽家の大谷能生がインタビュー。

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photo: Akihiko Sonoda / interview: Yoshio Otani / text: Masae Wako

フリージャズって何だ?

大谷能生

山下さんがプロとして演奏を始めたのは、トリオ結成から7年前の62年。モダンジャズ全盛の当時、フリージャズはどんな状況でしたか?

山下洋輔

海外にはセシル・テイラーやオーネット・コールマンという先達がいて、日本でも普通に聴けましたよ。でも僕はジャズ喫茶でセシルのレコードを聴き、なんだこれは、でたらめじゃないかと思いました。当時は正統でマトモな音楽家でしたから、自由な即興のフリージャズには、近寄っちゃダメだと考えたんです

大谷

そんな中、66年にジョン・コルトレーンの来日公演が開かれます。

山下

モダンジャズのスターです。当然、そういう音を期待します。ところが彼の演奏は完全なフリージャズ。時間も構わず延々と好きなように演り続けている。僕は衝撃を受けました。と同時に、大好きな音楽評論家の相倉久人さんが、“人の真似じゃなくて自分の音楽を作る。それがジャズだ”と話されていたのも大きかった。この2つのことが、その後の音楽に影響したように思います

大谷

〈ピットイン〉での伝説の一夜はその3年後ですね。サックスが中村誠一さんでドラムが森山威男さん。

山下

この日の僕は、自分の音楽を弾くということを、猛烈にしたくなっていたんです。“好き勝手に弾く”という、今まで近寄ってはいけないと思っていた場所へ飛び込みたくなった。それで急遽2人に提案しました。好き勝手に音を出してめちゃくちゃにやろうじゃないか、互いの音を聴き合えば何とかなる、と。

そしたら、気持ちよかったんです。後味がとてもよかった。お客さんの中には、“洋輔、どうしちゃったんだ⁉”という人もいましたよ。でも耳を貸さなかった。そのくらい面白かった

大谷

その「好き勝手な」ジャズは、僕らの世代やその下の世代にも確実に伝わっています。今、世界的に見ても、日本ほどフリージャズがちゃんと継がれている国はないかもしれない。山下さんたちがずっと続けてきてくださったからなんです。

山下

それはうれしい。日本人は昔から、即興的なものが好きですね。和歌とか俳句とか、急にパッと差し出すものにセンスが表れることを面白がれる。和歌が日本のフリージャズに結びついたのかな。大発見だ(笑)。

フリージャズは、“自分の音楽をやる”ということです。自分たちの音楽とは何だ?となった時、海外から西洋音楽が入ってきた明治時代よりも昔の、即興の感覚を取り戻したのかもしれません。やっぱりね、その時に出したい音を出すのが一番面白い。音楽の原点は、好きな音を出すことです。好き勝手にやれば、自分が出したい音を出せる。ジャズはいつだって、本当に気持ちいいんです

ピアニスト・山下洋輔
“JAZZ”って気持ちいいんだよね、やっぱり。と語る山下

“好き勝手”に演奏したフリージャズの熱を聴く

『山下洋輔トリオ』ジャケット写真
『山下洋輔トリオ』
1973年にオープンリールで録音された幻の音源を初CD化。山下のピアノ、森山威男のドラム、そこにアルトサックスの坂田明が加入した直後の、山下いわく「トリオ最強時期の熱演」。日本におけるフリージャズ全盛期のパワーがびしびし伝ってくる。
『QUIET MEMORIES』
コルトレーンの日本公演後、そのフリージャズに影響を受けて作った山下洋輔トリオの曲や、中学の時に初めて弾いた原体験的なジャズの曲など、山下自身が“今、弾きたい曲”を弾いたソロピアノ集。書き下ろしを含む新旧オリジナル曲などを収録している。