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約40年、ジャポニカ学習帳の表紙を撮り続けた男、山口進の生涯

日本人なら誰もが幼少期に手にしたことがあるであろう国民的ノート、ジャポニカ学習帳。表紙を飾る花や昆虫の写真、「世界特写シリーズ」は1978年に誕生、最近では数年のサイクルでリニューアルされているが、この表紙の写真、実は1人の写真家によってその都度、撮り下ろされている。世界中を飛び回り学習帳の表紙を撮影してきたのが昆虫植物写真家の山口進さんだ。

初出:BRUTUS No.821『まだまだ珍奇植物』(2016年4月1日発売)

photo: Nagahide Takano (still) / text: Koji Okano

約40年にわたり、ジャポニカ学習帳の表紙を撮り続けた男

BRUTUS

植物愛好家の間で「アフリカ編」が好評です。

山口進

ありがとうございます。お子さんや親御さんでなく、大人の愛好家にも支持されているというのは意外でした(笑)。

B

ジャポニカ学習帳の表紙は花にクロースアップしていますが、葉や茎の方もぜひ見てみたかった(笑)。実はビザールな植物もたくさんありますね。また見逃せないのが裏表紙の「学習図鑑」です。クルクルと葉が巻く、ゲシリスなども登場しています。

山口

そうなんです。ジャポニカ学習帳の表紙は綺麗な写真が好まれるので、基本的には順光で花にクロースアップして撮影しています。裏面は、実は原稿も僕が書いているんですが、そこには僕好みの珍奇な植物も登場しています。

ジャポニカ学習帳の裏表紙
ジャポニカ学習帳で見逃せないのが裏表紙だ。動物たちに紛れ、表紙にはならない珍奇植物が多数掲載されている。山口さん好みの植物は実は裏面に多く登場しているのかも。

B

自生地での撮影は、どこに生えているのか、いつ咲くのか、情報を得るのが大変かと思うのですが、撮影と準備にはどのくらい時間をかけているのでしょうか?

山口

今回のアフリカ編の撮影は2009年の8月〜10月にかけての約3ヵ月間でした。アフリカ南部はちょうど春です。南アフリカから入り、ジンバブエ、ボツワナ、ナミビア、ザンビアと車で回りました。準備はですね、実はほとんどしないんです。調べても結局わからないので行き当たりばったりのことが多い。現地でコーディネーターやビジターセンターなどで情報は集めるのですが、実際に行ってみないとわからないんです。

アフリカ南部には10回以上は行っていて30年前からGPSで位置情報を記録するようにしているので自生地はだいたい把握しています。アフリカ全体なら20回近くは行っていますから。

昆虫植物写真家の山口進、ボツワナの集落の村人
「アフリカ編」撮影ではボツワナの集落を訪れ、村の人と交流。帰国後も交流が続くことが多いと山口さん。珍しい花の存在を教えてくれて、次の旅に繋がることもあるという。

B

その情報は貴重な財産ですね。これまで撮りためた相当の写真のストックがあると思うのですが、なぜジャポニカ学習帳ではそのストックを使わないのですか?

山口

まず光の当たり方や撮る角度がバラバラになってしまい、シリーズ全体の調子が揃わないというのはありますね。あと子供に使ってもらうものだから良いものにしたいというのも当然あります。僕はもともと昆虫好きで、虫が植物の受粉を媒介していることに着目して植物にも興味を持ち始めたんです。

だから虫の視点で花の表情を見ているところがある。虫は開花直後に受粉を媒介することが多いのですが、私もできるだけ開花した瞬間の、最も状態のよい花を撮影するようにしています。

B

ただ花が見つかればいいのではなく、一番いい状態の花を探すのですね。アフリカではどのように過ごされていたのですか?

山口

向こうでは朝が早いんですね。まずつぼみを探すことから仕事が始まります。早朝に自生地に行って目当ての植物を探します。見つけたら開花の時間を予測して、その時間に再び訪れて撮影します。開花の時間は午前中であることが多いのですが、その瞬間を狙ってファインダーを覗き、ひたすら待ちます。咲いていなければもう1日、さらに1日と粘るわけです。

全科目、全学年で60冊ぐらいありますからね。表紙に加え、裏表紙用の2カットも撮影しないといけないので大変です。大体、使用カット数の3倍ぐらいは撮影するようにしていますから、今回もそうでしたが、旅の後半は大抵すごく焦ることになります(笑)。

南アフリカ北西のナマクアランドの風景
南アフリカ北西のナマクアランドで。足元の花はデイジー。群生して咲くと一面、黄色の世界になる。

企画から撮影、原稿まで。“一人BBC”を地で行く男

B

大変お忙しいと聞きましたが、1年のうちどのくらい海外へ行かれているんですか?

山口

昔の方が多かったですが、いまは年の半分ぐらいですね。テレビ番組の撮影なども多いですが、プライベートでも出かけます。

B

これだけ世界中で植物を見て回っている人はなかなかいないと思いますが、中でも印象に残る植物はなんでしたか?

山口

一輪の花としては世界最大といわれる、ラフレシアの受粉の瞬間を捉えるべく訪れたスマトラ島です。現地の人に頼んでバラックを建ててもらい、花の前で2週間待ちました。開花直後に腐った肉のような悪臭が立ち込め、それがハエを引きつけ、受粉に導くんです。その瞬間をどうしても撮りたくて。

スマトラ島のショクダイオオコンニャク
スマトラ島のショクダイオオコンニャク。7年に1度咲き2日で萎(しお)れるといわれる。現地協力者と。

B

そのような稀少な植物の撮影を行うときに、一番大切なことはなんだと思います?

山口

いかに現地の輪に溶け込むかが成功の秘訣なんです。情報を教えてもらったり、その村に滞在させてもらうわけですからね。そのためにはまず相手のことをトコトン信じること。言葉は通じなくても、小さな植物図鑑を持って、この花を見たいと熱意が伝われば、あっという間に隣の村にまで情報が伝わります。当時はありませんでしたが最近はSNSも使います。どこそこにあったなんて情報がすぐ入ってきますから。

自生地の情報は学術書かネット、古書から得ることも多いです。先ほどのラフレシア探訪にしても19世紀イギリスの植物学者、ロバート・ブラウンの古書を見たのがきっかけです。

植物学者ブラウンの本
植物学者ブラウンが、ラフレシアの発見者、アーノルド軍医の線画をもとに彩色した絵が。山口さんの大切な資料の一つ。

B

そんな古い本の情報が役立つことがあるんですね。

山口

ダーウィンを読んで興味深い種の存在を知ることもあります。本に出てくる地名を頼りに現地まで行ってみると、意外といまでも発見できたりする。古書から得る情報は侮れません。

B

「世界特写シリーズ」は1978年に始まり、最初が「熱帯アジア編」、その後「中南米編」「ニューギニア編」、「アフリカ編」は1982年にもやっていますね。「ヒマラヤ編」や「アマゾン編」「オーストラリア編」もあります。今回の「アフリカ編」は約30年ぶり、2回目になるわけですが、取材先はどのようにして決まるのですか?

山口

基本は私が行きたいところに行かせてもらってます(笑)。もちろん小学生が興味を持ちそうな花々が撮れる場所を選ぶわけですが。日本の植物や高山性の植物も魅力的ですが、表紙としては地味になってしまうので、どうしてもトロピカルな植物が生えているところが多くなります。

B

これだけ行っても、まだ行きたい場所ってあるんですね。

山口

たくさんありますよ。まずフィリピンのミンダナオ島です。ラフレシアはこれまで十数種類が発見されているのですが、新たに倍近くの存在が報告されたので、それを撮影しに行きたいですね。それと学習帳の取材で訪れた場所に再度行って、違う表情、文句のない構図で、表紙を撮り直したい。もっとこう撮ればよかったなあ、というのはやっぱりあるんですよ。

B

いままで約40年、学習帳の撮影に関わってきて、もう一巡。108歳になってしまいます。

山口

そうですね(笑)。いまのところは大丈夫ですが、体力のある限りは続けたいと思ってます。企画から情報収集、撮影、原稿に至るまで自分でやっていますので、これからも“一人BBC”として頑張っていきたいと思います(笑)。

(山口さんは2022年12月23日、肝性脳症のため逝去。享年74。)

ジャポニカ学習帳「ノート」
一番上のノートの表紙は、ケープバルブの一種、オキザリス プルプレア。「アフリカ編」は、珍奇植物愛好家にとってはまさにコレクターズアイテム!シリーズまとめて大人買い⁉

ジャポニカ学習帳 世界特写シリーズ“アフリカ編”セレクト