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日本の岡山で“未来のワイン”を造り始めた人たち

この10年ほど、全国で次々と新しいワイナリーが誕生し、世界に通用するワイン産地として可能性を見せ始めたのが日本。新世代の造り手たちは、ブドウ栽培には難しい日本の気候条件とも折り合いをつけつつ、独自のワインを造り始めている。ナチュラルワインの大きな河を遡る旅は、いよいよ水源地となる「生産者」のもとへ。

photo: Noriko Kidera / text: Michiko Watanabe

日本の岡山から世界へ、
長いワイン造りの物語が始まる

「産地としての日本」で、今、特に注目されているのは北海道。余市、岩見沢、函館などを核に新進気鋭のワイナリーがひしめいている。ほかにも山梨、長野などに新しい造り手が続々と登場。いずれも企業というより、小さな個人経営が多く、世代的にもフランスやイタリアのナチュラルワインに影響を受けた生産者が多いためか、日本の気候条件でも、なるべく自然なスタイルを目指す例が多いようだ。そして、これまで静かだったエリアも変わり始めた。

白桃やマスカットなど生食用の果物では古くから有名ながら、ワイン産地としては目立たなかった岡山もその一つ。先駆けとなる存在が、南フランスで名手として活躍し、6年前に帰国して岡山でワイン造りを始めた、大岡弘武さん。彼をはじめとする新しい生産者は皆、栽培も醸造も可能な限りナチュラルを前提に、試したことのない品種を栽培し、まだ見ぬワインを造り始めている。植えられたブドウはまだ若く、成果がはっきりするのはまだ先の話だが、「日本だけでなく世界に届くワインになる可能性はある」と大岡さんは言う。今回はそんな“未来のワイン”が生まれる現場を訪ねてみよう。

山といえば、フルーツ王国。高級マスカットに、桃太郎じゃなくて白桃にピオーネ……。そんな果物を育ててきた環境を生かしたワイン造りが今、周囲を巻き込んだ大きなうねりとなって、未知の産地としての力を着々と蓄えている。

岡山に何が起こっているのだろうか。ナチュラルな造りにこだわる、小規模のワイナリー3軒を訪ねてみる。この3軒、成り立ちからして三者三様。攻め方も独特、いずれも秘めたるポテンシャルがヒシヒシと感じられて頼もしい。

共通のキーワードは耕作放棄地だ。惜しみなく手をかけ、贈答箱に収まる宝石のような“作品”を作ることは、日本の果物農家のである。しかし高齢化とともに、その大変な手間と労働量に体が追いつかなくなる。後継者がいないと、畑は手放すしかない。そうなると丹精していた畑も草ボウボウ。果実を守ってきたこの地伝統のガラス温室は、解体にも費用がかかるから捨ておかれ、無惨に朽ちていく。畑が復活すれば、景観的にもこんないいことはない。

岡山にはもともと、100年以上にも及ぶマスカット・オブ・アレキサンドリア(以下アレキ)栽培の伝統がある。ブドウ造りに適した土地であることは間違いないのだからと、ここ数年で新しいワイナリーが次々誕生していて、今後さらに増えそうだ。

もともと生食用ブドウを育てていた古いガラス温室の、あえて壁際に沿ってシラーを植えた。水を与えないことで、根は温室の外の地下に伸び、葉と果実は雨に当たらず乾燥した環境で育つ。

「ワインの国・岡山」への
胎動を感じる3軒

まずは、そのリーダー的存在ともいえる、〈ラ・グランド・コリーヌ ジャポン〉の大岡弘武さんを訪ねる。フランス南東部・ローヌ地方コルナスの急傾斜地で、真摯に栽培醸造に取り組んできた。ナチュラルワインの造り手として、フランスでもその名を知られた人物だ。その彼が、帰国・移住するにあたり、選んだのは岡山だった。2016年のことだ。

大岡さんは以前、日本でワインを造るなら、北海道だと思っていた。梅雨がないし、台風が来ない。当時は、産地としてもこれからという時だった。しかし、最近になって梅雨が始まり、台風も来るようになったことを知る。冬になれば、雪深い。今はいいが、何十年後の弱った体で雪かきはきつい。ということで、候補から外したのである。山梨や長野など、既に出来上がっている名産地は「なんだかそれでは面白くない」と、あえて主流ではないところを選ぶ性分からか、最初から候補には入れなかった。

岡山を選んだのは、降水量が少ないこと。本州でも、台風の直撃は少ないこと。それから、南部はコルナスと同じ、が風化した砂の土壌であること。気候温暖で、人もブドウも住みやすいこと、が理由だった。しかし、土地取得には苦労した。標高や土壌、斜面など、ふさわしい場所は絞り込めたものの、なかなか決定には至らなかった。そんな中、いくつかの偶然の出会いから道がつき、のみならず、住む家まで借りられることになった。フランスから一家揃って引っ越しの際、力を貸してくれたのは、コルナスの大岡さんのワイナリーで研修をしたことがある、松井一智さんだった。

松井さんは岡山生まれ。フレンチでシェフとして働いていたのだが、途中1年ほど、料理の勉強のために渡仏。現地でナチュラルワインに魅了された。大好きなル・カノンの造り手である大岡さんとも出会い、畑を手伝わせてもらえたのは、松井さんにとっては望外の喜びだった。

帰国後、再びシェフに戻るが、あまりに不健康な日々が続き、外で太陽を浴びながら仕事をしたいと、農業を志す。地元に戻り、2年間の新規就農研修を経て、生食用アレキの栽培を始める。

地元・倉敷市船穂町は、かつて、アレキの一大産地だった。それも、最高級品を生み出す特別な地域だった。ただ、ここ10年、シャインマスカットに乗り換える農家が続出。伝統が失われていく状況になっていた。松井さんは、耕作放棄されそうなアレキの畑を借り受け、また、自分も新たに植えて働き詰めに働くうち、県内でも屈指の生産量を上げるまでに。新規就農にして、驚きの成功者となった。16年に移住してきた大岡さんの畑を手伝いながら、ワインを一緒に造ったのは、松井さんにとって大きな学びだった。コロナ以前は、ちょうど醸造の期間にフランスと日本を行き来していた大岡さんと3年間、醸造を手がけた。これもいい経験になって、21年独立。醸造所〈グレープシップ〉を立ち上げた。現在は、県南の暖かい地域という立地を生かし、生食用、ワイン用のアレキに加え、シラー、小公子といった品種を育てている。ギフト用アレキの収穫後は、ワイン造りに全力投球する。

さて、3軒目はがらりと変わって、北西部の新見市へ。かつて、このあたり、食用ブドウの一大産地だったが、約20年もの間、耕作放棄されていた場所があった。09年、それを再生しようというベンチャープロジェクトを立ち上げたのは、地元出身で建設業を営む高橋竜太さんだった。かつてのブドウ畑で何か新しいことを……と考えた高橋さん。調べるうちに、ワインに行き着いた。新見は鉱山もある石灰の町。知人のソムリエからも、「フランスのシャブリやシャンパーニュ地方も同じく石灰質土壌なんだから、ワインを造ればいいんじゃないか」と教わり、はたと膝を打った。ワイン、いい。それで行こう。

それからは、雑木林と化していた元ブドウ畑をひたすら開墾。10年かけて8ヘクタールの植え替えが完了する。その間、ブドウが育ち、委託醸造ながらワインを造り、少しずつ販路を広げていった。15年には、その実績を旗印に、クラウドファンディングで資金を集め、県内中心に多くのパートナーを得て、16年、念願のワイナリーが完成。翌年、自社畑のブドウ100%の初ヴィンテージをリリースする。岡山が誇るWonderwall®片山正通さんに依頼し、醸造場にショップとカフェを併設したワイナリーも完成。エチケットをはじめとするグラフィックデザインは、これまた巨匠の平林奈緒美さんが担当してくれた。20年ヴィンテージからは、2代目責任者となる若き菅野義也さんに引き継がれた。最近、テッタのワインを飲んで、明らかに違いを感じている飲み手もいるようだが、それは彼の存在も大きいはず。最近は海外からも次々とダイレクトに注文が入りだした。まさに東京を飛び越え、地方からいきなり世界に向けて開かれたワイナリーになりつつある。

この3軒、場所は違えど、後進の育成、地域の活性化も見据え、海外市場にも目を向け、前進している。彼らに続く新しいワイナリーもあるし、その背中を見ている人はもっといるだろう。知名度も生産者数も、まだまだ先の話。でも「晴れの国」岡山は、いつか「ワインの国」となる日が来るかもしれない。

“未来のワイン”の生産者

1件目:〈ラ・グランド・コリーヌ ジャポン〉大岡弘武さん
2件目:〈グレープシップ〉松井一智さん
3件目:〈ドメーヌ・テッタ〉高橋竜太さん、菅野義也さん