あなたは、何と言って死にますか?
自分が死ぬときのことを想像してほしい。そのとき、あなたは何と言うだろう?先人たちは、数々の印象深い言葉を残している。ゲバラやヘップバーンのように、培った哲学や教えを伝える者、あるいは越路吹雪のように、人生を振り返って、よき人生だったと納得し、感謝する者、大宅壮一のように残った本能のエネルギーを振り絞る者……。
チェ・ゲバラ
リヴァー・フェニックス
松田優作
赤塚不二夫
大宅壮一
寺山修司
筑紫哲也
若山牧水
越路吹雪
オードリー・ヘップバーン
緒形拳
渥美清
ナガタカズミ海軍大佐
日航機墜落事故の犠牲者
アメリカ同時多発テロの犠牲者
マハトマ・ガンジー
彼らの言葉が美しいのは、それぞれが独自の美学に基づいた確固たる人生を歩んだからだ。「バカ」を追求し続けた赤塚不二夫だからこそ、生前の最後の言葉が「おっぱい」で構わない。むしろ「おっぱい」が崇高な言葉として響くではないか。「バカ」こそが、赤塚不二夫が生涯追い求めた美学だった。
あと数分で自分の命が失われてしまうような鬼気迫った状態を。飛行機事故で、あるいは戦闘機が飛び交う戦地で。その時を待つ数分の間に、あなたは何を遺せるだろう。震える手で、恐怖と闘いながら、何を書き残すことができるだろうか。旋回しながら急降下する機中で、「本当に今迄は 幸せな人生だった と感謝している」と書くことのできたすごさ。想像を絶する「死」の際の言葉に、その人生が集約されたのかもしれない。
何と言って死ぬか、何と言われて葬られるか。誰にも必ず訪れる“死”の際の言葉について考えることは、自分がどう生きるかを考えることと同義だ。深く心に沁みる言葉で最期を締めくくった人、温かい言葉で弔われた人。その言葉が美しいのは、彼らの生き様が美しかったからに違いない。