内山拓也
島口くんの小説って、読んでいると自然と映像が頭に浮かぶのが素晴らしいんですよね。
島口大樹
ありがとうございます。
内山
僕は映像を頭の中で描きながら脚本を書き進めるので、考え方は似ているのかなと思いました。
島口
たしかに、先に頭に映像があって、それを叙述していく感覚かもしれません。でもそれは僕が特殊なわけではなくて、これだけ映像が溢れている今、現代人なら皆持ち合わせている感覚なんじゃないかとも思いますね。もちろん映画が好きなことも影響しているとは思うのですが。
内山
表現媒体として小説を選んだのはどうしてですか?
島口
味気ないですが、最初は、お金をかけずに書けるからでした(笑)。でも今では、小説って単線的な表現のようで、外の世界も人の内面も書けるし、語感やリズムに意味も込められる。複層的な表現ができることに面白みを感じています。
内山
なるほど。僕は、映画館での映像体験に勝るものはないと信じているから映画を撮っている。それは大前提なんですが、一方で活字で何かを掴(つか)むことに豊かさを感じる瞬間もあって。読む行為そのものより、読みながら咀嚼(そしゃく)していく時間に贅沢さを感じる。その分、読むのにはすごく時間がかかるのですが(笑)。
“遠回り”だから伝わる書き手の生きざま
島口
映像って、“たしかに今起こっていること”がすさまじい強さで視覚的に迫ってくるのが魅力ですよね。一方で活字は、一文一文噛み締めることでじわじわ染みてくる良さがある。僕が愛読している『山頭火俳句集』なんか、まさにそう。
内山
俳句か!いいですね。
島口
アルコール中毒で不眠症だった俳人の種田山頭火が、旅をしながら詠んだ自由律の俳句集なんですが、自分もなかなか寝つけない夜に開いていて。遠くで鳴る車の音や葉のかすれる音を聞きながら読むと、彼の苦しみにどこか近づく感覚になって、一句一句が心に染みるんですよね。
内山
ああ、なるほど。
島口
俳句だけでなく日記が挟まれているのも胸を打つ理由の一つ。イメージが映像として立ち上がるわけではないし、能動的に活字を追う労力も伴う。でも遠回りだからこそ、ページをめくる手触りとともにこれを書いた人が確かに存在したという事実が切に迫ってくるんですよね。
内山
わかります。僕も以前、立原道造の詩集から同じような感覚を覚えていました。よく深夜に読んでいたなとも。毛色は違いますが、『プロレタリア芸人』にも活字ならではの切実さが詰まっていますよ。
島口
へ〜!すごく面白そう
内山
著者はソラシドというお笑いコンビの本坊元児(ほんぼう・がんじ)さん。後輩の千鳥や同期の麒麟らが売れていく中、いつまでも売れずに肉体労働に日々を費やす彼が自らの半生を綴った自伝エッセイです。難しいことは書いていないんだけど、なにげない表現でクスッとさせたり切なくさせたり、文章に人となりが滲み出ている。
苦しさが手に取るように伝わってきて、たとえ誰かが映像化しようとしても、文章から得られる感情には敵わないなと。悔しさすら覚えました。
島口
これ借りていいですか?(笑)
内山
ぜひ!感想聞きたいです。

小説特有の「語り」の存在が、壮大な世界を閉じ込める
島口
あと、最近読んで衝撃を受けたのが『13』。「一九六八年に東京の北多摩に生まれた橋本響一は、二十六歳の時に神を映像に収めることに成功した」という鮮烈かつ意味深な一文から始まります。
内山
冒頭で心を掴まれますね。
島口
最初に読者に不可解な事実を与えて、なぜそうなったのかを語っていく造りの小説で。途中にちりばめられるのは、神話的な出来事や芸術性の高い言葉。ストーリーを僕が語り直すことに意味がないくらい壮大で捉え切れないんですが(笑)、力強くスムーズな「語り」によってまとめ上げられているから、不思議と惹きつけられてしまうんですよね。
内山
小説では、語りが作品全体の方向性を大きく左右しますよね。
島口
そうなんです。特に本作の著者・古川日出男さんは、何をどのような語り口で語るかに意識的な作家。語りの方法によってこんなに壮大な世界が閉じ込められるんだということに小説の可能性を感じましたね。
内山
僕が、高校生の時に読んで、初期衝動的に小説表現ならではの世界観に驚いたのは、叙述トリックを駆使している『向日葵の咲かない夏』。圧倒的な没入感で活字に欺かれる経験にハッとさせられました。
島口
わかります!あと没入感といえば『草地は緑に輝いて』もすごかった。SFとも幻想文学とも形容される短編集ですが、美しく幻想的な夢の描写に浸っていると、たった数ページのうちに、夢から覚めてグラグラッと暗闇に落ちていく。すると活字を追っていた自分も、テキストの持つ抽象性に私的な記憶を呼び起こされて、一緒になって暗い記憶やイメージに引きずり込まれてしまうんですよね。パーソナルな部分と紐づけられてしまうというか。
内山
ああ。それでいうと『暇と退屈の倫理学』は自分の人生について深く考えさせられました。
島口
これ、聞いたことあります!
内山
人々がいかに暇と退屈に向き合っているかを哲学者が考察するという内容。現代人は退屈しないために山登りをしたり、釣りをしたりと好んで“苦痛”を求めていると。
島口
なるほど。それで内山さんはこれを読んで何を考えたんですか?
内山
人生に目標は必要なのか。この本は、現代人は苦痛を伴うプロセスにこそ意味を見出していて、何かを獲得した途端に退屈してしまい、進む道がわからなくなってしまうと説きます。ならば具体的な目標は設定しない方がいいのかなとも感じる半面、目標があるから踏ん張れることもある……矛盾に直面するんです。
島口
ああ、これはもう、ビールを片手に語りたいテーマですね(笑)。
内山
そう(笑)。でも改めて、こういう究極の問いについて、ページを行ったり来たりしながら考えを巡らす時間って豊かだなと思いますね。
内山拓也の、映像と異なる体験が待つ3冊

芸人・本坊元児の自伝エッセイ。売れていく同期への羨望と焦りから、勝負を懸けて上京するも、芸人としての仕事はほぼゼロ。肉体労働のバイトに汗を流し、テレビ出演の回数より、ギックリ腰の回数の方が多い凄絶な日々を痛快に綴る。扶桑社文庫/880円。
『向日葵の咲かない夏』道尾秀介/著
ミステリーの名手が手がける長編小説。終業式の日、小学4年生のミチオは欠席していたS君の自宅を訪れるも、彼は首を吊って死んでいた。その事態を担任らに伝えるも、のちに告げられたのは、死体などなかったという報告だった。新潮文庫/825円。
『暇と退屈の倫理学(増補新版)』國分功一郎/著
「暇」とは何か。人間はなぜ「退屈」するのか。普遍的な問いをテーマにした哲学書。人類の歴史とともに変遷してきた「暇」と「退屈」を、スピノザ、ルソーら先人たちの叡智を読み解きつつ解き明かす。太田出版/1,320円。
島口大樹の、活字の可能性を感じる3冊

左目だけが色弱の少年・響一は驚異的な知能を持つ色彩の天才。アフリカ・ザイールに向かった彼が出会ったのは、片足の傭兵「13」を通じて別人格を育んだ少女ローミだった。古川日出男のデビュー作となったマジックリアリズム小説。角川文庫/840円。
『山頭火俳句集』夏石番矢/編
19世紀末〜20世紀前半の時代に生きた自由律俳句の俳人・種田山頭火。彼が酒に溺れながら、行乞(ぎょうこつ)の僧として続けたのは隠遁と漂流の旅。その最中に深い内省から自然を見つめ、したためた1,000句と、日記や随筆等を一挙にまとめた作品集。岩波文庫/1,166円。
『草地は緑に輝いて』アンナ・カヴァン/著 安野玲/訳
1901年に生まれ、ヘロインを常用し精神疾患がある著者が独自の退廃的な世界観を描き出す短編集。大天使ガブリエルが聖母マリアに懐胎を告げる新約聖書のエピソードを再解釈した「受胎告知」など13編を収録。文遊社/2,750円。