ドラマの舞台が、孤独な魂が集う
東京である訳
岡室美奈子
『東京ラブストーリー(以下東ラブ)』の現代版の放送を前に、原作を読み返したのですが、なぜ東京なのかという背景がわかりやすく描かれてました。
主要な登場人物が誰も東京出身ではなく、外から東京に集まっているんですよね。91年版で織田裕二が演じたカンチ、江口洋介の三上、有森也美のさとみは、愛媛出身だし。
清田隆之
原作のリカはジンバブエからの帰国子女ですよね。鈴木保奈美の演じたドラマ版では、ロサンゼルス育ちでしたが。
岡室
そう、帰国子女でいじめられた経験もある。東京出身なのは、三上が惹かれる尚子だけです。理由があって地域のコミュニティから弾かれて逃げてきた人々が、新しいコミュニティを築こうとするけれど、すれ違うという構造です。東京である必然性は、孤独な魂を持っている人が寄せ集まる場所だから。
清田
今もそれは同じですね。
岡室
今の方がそれぞれの孤独感は増している可能性もあります。自由なイメージを求めて上京しても、東京は全く自由じゃない。その不自由さはリカが象徴していて、彼女は東京で持ち前の野性感を持て余している。
そんな中で、一番屈託ないのがカンチで、逃げてくる事情もなく、なんとなく東京にいるという。
清田
異動で来ただけですもんね。
岡室
カンチって、ドラマの主要人物の男性としては信じられないくらい優柔不断じゃないですか。昭和から平成に切り替わって間もない91年の放送時、カンチはすごく新しい男性像だったと思う。
昭和のドラマだと、やっぱり女性が好きになる男性は男らしかったけれど、彼の優しさと優柔不断さがある種、みんなの心の拠りどころになっていくんですよね。
清田
確かに。僕自身は、数年前に初めてちゃんと91年版を観たんですけど、恋愛観やジェンダー観があまりにも「ザ・昭和」で衝撃を受けました。自立した強い女性像を打ち出しているわりに、男は奔放なもの、女は従順なものとして描かれていて。
例えば、男性が外で浮気めいた行動を取っているシーンがあると必ず、対比として家で帰りを待つ女性が映る。先進的なはずのリカでさえおとなしく待つ女になっていて、突然訪ねてくる男たちにご飯を用意したり、お酒を出したり、揚げ句の果てに自分のベッドまで譲っていて……。
岡室
私もそういう描写の蓄積の上で、91年版のリカが最後に身を引く展開は古典的な女性に逆戻りしたと残念に感じていたんですが、2年前に観直した時に大きく見方が変わって。最終的にリカは自分の道を選んだ。
むしろカンチが昭和に逆戻りしていて、昭和の男を、これから平成を生きていく新しい女が置いていく話なんだと気づいたんです。
清田
その視点は面白いですね。
岡室
そして、ちょうど令和に切り替わったところでの2020年版放送じゃないですか。時代が変わって、リカみたいな女が生きやすくなったかというと、一層生きにくくなっていると思う。だから、令和のリカが最終的にどういう選択をして、どう見えるのかは興味があります。
それと、『東ラブ』91年版は、坂元裕二さんが脚本を書いていることが重要で、その後の坂元作品『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』に直結します。地方出身者が疑似コミュニティを作るけれど、簡単には温もりを得られない、という恋愛ドラマという意味でも。
恋愛ドラマから居場所を
求める人々の物語へ
清田
坂元さんの『問題のあるレストラン』も、様々な問題を抱える女性たちが身を寄せ合って作った、小さなレストランが、精神的に安心できる居場所になっていくという物語でした。ザ・都会の青山の裏路地にある古いビルの屋上という設定で、その場所性も面白かった。
岡室
ローカリティが問題になってくるのは、結局、東京のドラマは地方出身者が居場所を求める物語になっていくためです。
野木亜紀子さん脚本『獣になれない私たち(以下けもなれ)』でも、主人公の晶(新垣結衣)は家と断絶して働いているから、理不尽な状況でも頑張らざるを得ない。彼女がなぜ仕事を辞める決心がついたかというと、居場所は会社ではなく人だとわかったから。
清田
タイトルからして、感情の赴くまま振る舞ったり、野生を開放できない私たちという意味ですしね。
岡室
『けもなれ』の白眉って、もちろん恋愛要素はありつつも、困難を抱えた女性同士が緩やかに連帯していくところにありましたよね。
清田
まさにシスターフッドでした。こうして男性たちの存在感がなくなる中、かろうじて居場所を与えられているのは、話に耳を傾けることができる男性なんじゃないかと。
恋愛対象として輝くのは、
「聴く力」を持つ男たち
岡室
『逃げるは恥だが役に立つ(以下逃げ恥)』の平匡さん(星野源)は、聴く力の権化のような人。一方で、主人公のみくり(新垣結衣)は恋愛ドラマで最も嫌われてきた理屈を並べるタイプの女です。
その小賢しい女の話をあれほど聴いてくれる男性は、これまでいなかった。『逃げ恥』は契約結婚、年の差、同性愛、多様なコミュニティのあり方を描いて、恋愛はかくあるべきという呪縛を解いたことも画期的でした。
清田
『逃げ恥』の平匡も『けもなれ』の恒星も、論理的に相手の話を聴き、解決法を共に考える傾聴力がある。
『恋はつづくよどこまでも(以下恋つづ)』の佐藤健演じるドSな天堂先生でさえ、新米ナースの七瀬のことを観察し、見守っています。男性が恋愛対象になるためには、聴く力に加えて、観る力も求められているのかも。そんな男性、実在するのかという感じですが……。
岡室
恋愛ドラマで働く女性のリアリティは描かれてきたけれど、対象となる男性は、どんどん現実離れしている気もしますね(笑)。
清田
恋愛モノに触れたいという人は、『恋つづ』のような胸キュンファンタジーか、リアリティ番組に流れる傾向があるのかも。リアリティ番組だと、傾聴力を売りにしていた男性が突然逆ギレして、炎上していたりもするんですけど。
岡室
『東ラブ』の聴く女、さとみが三上にブチギレたような感じでしょうか。役割分担が男女で入れ替わっても、聴くことに徹する側にもストレスはあるもの。
社会化された獣となった女性に太刀打ちできる、リアルな男性が今後出てくるか。そこが鍵になりそうですね。
令和の恋愛バラエティでは、
獣がモテる⁉
初対面の男性と女性が1週間同じ部屋で同居する『ダブルベッド SEVEN DAY LOVER』で印象的だったのは、俳優・武田航平さんとモデルの山本ソニアさんの回。
傾聴力のある男と人気だった武田さんが最終日に「女の子なんだから」とダメ出ししたことで物議を醸しましたが、おのおのが忙しく働いている中で、生活と恋愛の折り合いをつけようと頑張る女性像と、一見フラットなのに芯に昭和が残る男性像との対比を垣間見ました。
一方で、『月とオオカミちゃんには騙されない』が新しかったのは、古典的で清楚な女子よりも、自分の個性を楽しんでいる、獣になれる女子が断然モテている現象。東京の恋愛バラエティには、まだ希望がありそうです。(清田)